長生寺 檀家 廣瀬隆夫
・2019年4月6日(土)(成正寺・柏尾)13時~16時10分
・研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、会所住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(浄土真宗とは(悪人正機について)善了寺:成田智信さん)
・班別話し合い(14時~15時)
・発表(15時10分~)
・全体協議会 まとめ 成田智信さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時20分終了
次回 6月1日(土)〜2日(日)箱根 真楽寺
■ 学んだことと感想
今回のテーマは、浄土真宗の真髄「悪人正機」である。”善人なおもって往生をとぐ いわんや悪人をや”、善人が往生できるのだから、悪人は当然往生できる、という普通に考えると真逆のことを言っている謎である。班別の話し合いの中で、オレオレ詐欺でお年寄りから大金を奪った人や、何人も人を殺した人も往生できるのかという質問が出ていた。さもありなん。
問題は、悪人とは何か、ということなのである。法に背いたものが悪人か、法に背かなければ悪人ではないのか。法は誰が決めるのか。法を作った人は全て正しいのか。悪人の捉え方は、時代によっても変わるし、相対的なものでとらえどころがない。親が病気で薬代を稼ぐために盗みに入って金を盗もうとしたら、人に会ってしまい、偶然ふところに入っていたナイフで刺して殺人を犯してしまった。その人は本当に悪人なのか。自分たちで法律を作って、戦争を起こして何万人という人の命を奪った指導者は悪人ではないのか、そんな議論があった。
仏教で言う悪人というのは、我々が考える悪人とは違うようだ。善とは、自他に安らかな幸せをもたらす行為というものらしい。他が入っているところがミソである。仏教では人の行いを、善、悪、無記の三つに分けるそうだ。無記というのは、良くも悪くもない、グレーのこと。実は、これが一番多いのではないか。これがあるから色んな問題や争いごとがおこる。弁護士という職業はこれで成り立っている。コンピュータには無記はない。0と1だけ。はっきりしていて分かりやすい。悩むこともない。合理的だ。でも、問題が何も起こらないというのはつまらない。このグレーがあることが生きている証だし面白いし人間的だと思う。私を含めたほとんどの人間は善人にはなれないと思った。
「悪人正機」という言葉は、法然上人から親鸞上人、蓮如上人・・・と受け継がれて現代まで伝わっているが文字にはほとんど残っていないらしい。口伝や面接で話をしたらしい。人と人との出会いで伝えたもの、本当に苦しんだものに伝える言葉である。故意で文字に残さなかったのか、残せなかった理由があったのかを聞くのを忘れたが、とにかく、この「悪人正機」には人間とは何かという、凡人では考えても考え尽くせない大きな問題提起が含まれている。
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