2026年11月7日土曜日

▶2026年度第71回金沢仏教文化講演会の参加報告


▶2026年度第71回金沢仏教文化講演会の参加報告

玉置妙憂さんのお話は、死についてのまさに直球勝負のお話でした。どんなに偉い人でも死を逃れることはできません。それを扱っているお寺と言うのは、すごく重要な役割を担っているのではないかと思います。今回は、その死についていろいろと考えさせていただいた講演会でした。(長生寺門徒 廣瀬隆夫)

■ 日時 2026年11月4日(水)13時~15時30分
■ 場所 金沢公会堂
■ 主催 金沢区佛教会/金沢区釈尊奉讃会
■ 参加者 約200名

● ご挨拶 金沢区佛教会 会長 光傳寺 平島寿史さん
     金沢区釋尊奉議会 会長 山田一男さん

<こころのたより(三帰依文)全員斉唱>
Buddham saranam gacchami ブッタン・サラナン・ガッチャーミ
Dhammam saranam gacchami ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
Sangham saranam gacchami サンガン・サラナン・ガッチャーミ
わたしは み仏を 心のよりどころといたします。
わたしは み教えを 心のよりどころといたします。
わたしは み仏の教えに生きる僧を 心のよりどころといたします。

■ 第一部 お楽しみ寄席 13:15~
・奇術 北見 マキさん
日本の伝統奇術である手妻の一派「養老派」の家元・養老灘五郎の技を継承する養老派の和妻師。純日本手品、古典和妻を研鑽する一方、和洋問わず手品を演じるプロマジシャンとしても活動している。

・紙切り 林家 喜之輔さん
落語芸術協会所属の紙切り師。2014年10月:高校2年生で林家今丸に入門。 2018年3月:前座修行終了紙切りとしてデビュー。
特技は型紙から作る洋裁。

《休 憩》15分

■ 第二部講演 14:00~
テーマ:「先人からのメッセージ ~生き方・逝き方を考える~」
・講師:僧侶 玉置妙憂さん
看護師、僧侶、専門スピリチュアルケア館・介護支援専門員,看護教員。東京都中野区生まれ。専修大学法学部法律学科卒業。国際医療福祉大学大学院修士課程を修了し、看護管理学修士を取得。 夫を在宅で看取ったことを機に出家し、高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。

現在は、非営利一般社団法人「大慈学苑」 および「日本スピリチュアルケア実践協会」を設立し、終末期にある人、 子育てに悩む人、希死念慮を抱える人、喪失の悲嘆を抱える遺族などを対象に、幅広いスピリチュアルケア活動を実践している。また、スピリチュアルケア実践者の育成を目的として、「スピリチュアルケア実践講座」「スピリチュアルケアトレーニング」を主宰。

2026年には「総合ケアステーション大慈」を開設し、在宅での看取り支援と、障害のある人と高齢の親が抱える「5080問題」に取り組んでいる。(5080問題:80代の高齢の親が、50代の無職やひきこもり状態にある子どもの生活を経済的に支えていることによって生じる、日本の深刻な社会問題)
著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社) 「困ったら、やめる。迷ったら、離れる。」(大和出版)『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の問のケア』(光文社新書)、他多数。ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」 パーソナリティ。

■ 感想

● ご挨拶

平島さんからは墓じまいについて、山田さんからは宗教離れについてのお話がありました。一見、別々の問題のように思えますが、根底には共通するものがあるように感じました。

日本では戦後、政教分離が進み、学校教育においても宗教について教えることがタブー視されるようになりました。私自身の経験を振り返ってみても、祖父や祖母からは仏様や神様の話を聞いた記憶がありますが、父や母からはほとんど聞いたことがありません。今の若い世代では、こうした傾向がさらに進んでいるのではないでしょうか。

科学万能の時代になり、科学で説明できないものは受け入れないという、いわば「科学信仰」のような風潮もあるのではないかと思います。カブトムシが死んだら、デパートに持っていけば直してくれると信じている子どももいると聞いたことがあります。

お釈迦様の教えには、生き物を殺さない、嘘をつかない、盗みをしない、不適切な男女関係を持たない、酒や薬物に頼らないという「五戒」があります。こうした教えは、人として生きていくうえでの基本的な道しるべになるものだと思います。

宗教を信じるかどうかは個人の自由ですが、こうした先人の教えや倫理観を、子どもたちが道を踏み外すことなく成長していくためにも、家庭や学校で伝えていくことが大切ではないかと感じました。

■ 第一部 お楽しみ寄席 奇術と紙切り

奇術は不思議です。ずたずたに切ったひもが、あっという間に元通りにつながったり、破った紙が元の姿に戻ったりします。普通ではありえないことが、目の前の舞台で次々と起こります。いったいどうなっているのだろうと、ただただ感心します。

紙切りの林家さんは、観客から出されたお題を即座にシルエットにして、見事な作品に仕上げてしまいます。その技術も素晴らしいのですが、私が特に感心したのは話術です。不特定多数の観客と会話を交わしながら、限られた時間内にお題に沿った紙切りを完成させ、最後には拍手をいただきます。これは、なかなかできることではないと思います。技術だけでなく、人を楽しませる話術と、その場を盛り上げる力にも感心しました。

■ 第二部講演 先人からのメッセージ ~生き方・逝き方を考える~
>「死」を受け入れるのは、そんなに簡単ではない
>現代人は死を、受け入れられなくなった?
>現代人は死と折り合いをつける方法を科学につぶされた

人間を含め、生き物は100%死ぬ運命にあります。生物は、生きるという目的のために生きている、というお話がありました。海外旅行に行くには、事前の準備が必要です。それでは、あの世に行くためには、どんな準備が必要なのでしょうか。そんなことは、誰にも聞くことができません。

墓じまいや終活をしても、それが本当に有効なのかどうかは誰にも分かりません。「子どもに迷惑をかけたくない」という気持ちは分かります。でも、最後くらい子どもに迷惑をかけてもいいのではないでしょうか。子どもだって、最後くらいは親の面倒をみたいと思っているかもしれません。

死ぬための準備に、これが正解だという方法はありません。何しろ、誰も死を経験して戻ってきたことはないのですから。

科学をベースにした先端医療は、目覚ましい進歩を遂げています。がんも早期に発見できれば、治る確率は高くなっていると言われています。それでも、死を免れることはできません。どうせ100%死ぬのであれば、あまりジタバタしても仕方がない。最後は、自然の摂理として受け入れるしかない、というお話でした。

私が尊敬する天才バカボンのパパが言っていた「これでいいのだ!」です。死を前にしても、あれこれ思い悩まず、ありのままを受け入れる。この達観こそ、大切なのかもしれません。これでいいのだ!

>いつかいつかと憂うことはない
>死ぬ時は決まっている
>生きること死ぬことに意味をつけてジャッジをするのは人間だけ

この話は面白かったですね。人間の寿命は、生まれたときから決まっているという考え方があります。何があっても、助かるときは助かるし、死ぬときは死ぬというのですね。良寛和尚も言っていました。もし死ぬときが決まっているのなら、あれこれ悩んでも仕方がありません。

「エノケンの天国と地獄」という映画の中に、人間の寿命はロウソクでできていて、その長さは最初から決まっているというシーンがありました。そのロウソクが燃え尽きたとき、人は死んでしまうというのです。まさに、そういうことなのでしょう。

生きることや死ぬことに、無理に意味を見つけようとしても仕方がない。命には限りがあり、死ぬときは死ぬのです。人間以外の生き物は、そんなことに思い悩んだりしないのでしょうね。ただ、生きることに一生懸命で、命の終わりが来れば自然にそれを迎える。

そう考えると、人間もあまり難しく考えず、今を一生懸命に生きればいいのかもしれません。

>大きな流れの中の一粒
>この世は○○○○と知っておく
>諸行無常

「諸行無常」は、仏教の核心を表す言葉だと言われています。しかし、考えてみれば、ごく当たり前のことを言っているだけではないでしょうか。もし、世の中のあらゆるものが変わらなかったら、面白くも何ともありません。生きている価値さえないのではないかと思います。

庭には雑草が生えてくるし、鉄でできた道具は錆びる。トイレが詰まって水が流れなくなったり、クーラーや冷蔵庫が壊れたりもします。これも、まさに諸行無常です。そうした変化や不具合を一つひとつ修復しながら、何とかやっていく。それが生きるということではないでしょうか。

一方、墓石は何百年も変わらずに残っています。考えてみれば、それは生きていないからですね(笑)。「生老病死」という言葉も、同じように、命あるものは生まれ、老い、病み、そして死んでいくという、当たり前の自然の摂理を表しています。

諸行無常も生老病死も、よく考えれば当たり前のことです。でも、その当たり前のことを受け入れて生きていくところに、仏教の教えの深さがあるのかもしれません。

>思い通りにはいかない
>執着を捨てる
>「自分らしく」の呪縛

健康を維持するために、毎日納豆を食べ続けることのつらさについてのお話がありました。健康に良かれと思って始めたことでも、それが義務になってしまうと、かえって窮屈になります。こうした執着があると、生きること自体がつらくなってしまいます。何も毎日食べなくてもいいと思えば、気持ちも楽になります。

昔、「自分探し」という言葉が流行したことがあります。「自分探しの旅」に出る人もいましたが、そもそも自分が何者なのかを見つけるのは、なかなか難しいものです。なぜなら、諸行無常。自分自身も時々刻々と変化しているからです。

これが自分だと気づいたとしても、次の瞬間には、また違った自分がいる。人間とは、そういうものではないでしょうか。そう考えると、「本当の自分」や「自分らしさ」というものを追い求めること自体、あまり意味がないように思えてきます。

自分を何かに決めつけず、そのときどきの自分を受け入れながら、自然体で生きていけばいいのではないでしょうか。

>どれだけあの世を信じられるか
>思い当たることはありませんか?

人は死んでしまうと、何もなくなってしまうと考える人が多いのではないでしょうか。それはそれでいいと思いますが、私は、そう考えるのは少し面白くないような気がします。考えることは自由です。誰にもとやかく言われる筋合いはありません。それなら、死んだ後にも何かがあると考えた方が、楽しいのではないでしょうか。

NHKの「こころの時代」という番組で、がんの研究者が、自らもがんを宣告され、余命を告げられながら生きていく姿が紹介されていました。その研究者は、死ぬ瞬間がどんなものなのか、どんな経験をするのかを楽しみにしていると話していました。死を恐れるだけでなく、その先に何があるのかを知りたいという気持ちがあるのでしょう。死後も人生の続きがあると信じているようでした。

浄土真宗では、命が終わると、ただちに阿弥陀様の極楽浄土に往生すると教えられています。往生とは、極楽浄土に往(い)って、仏として命をいただいて新たに生まれるという意味です。極楽浄土とは、苦しみや悩みのない理想的な世界といわれています。帰ってこれないので本当にそんな世界があるか確かめようがありませんが、どうせなら、生きているうちは、そのような世界があると思っていた方が楽しそうなので、私はそう信じています。

死を単なる終わりと考えるのではなく、その先にも何かがあると考えてみる。どうせ誰にも確かめることができないのなら、希望の持てる考え方をした方がいいのではないでしょうか。

>一番大切なこと
>最期の最後まで
>信じられるものがあるか

最期の最後まで信じられるもの。それを見つけるのは、なかなか難しいことです。私は、自然の摂理は決して途絶えることがない、ということを信じたいと思います。

春になると木々の芽が吹き、生き物たちが動き出します。恋をして、子どもを産み、育てる。そして、また次の世代が生まれ、親はやがて死んでいく。そうした自然の営みが、途切れることなく、ずっと繰り返されていくのです。

地球は自転しながら太陽の周りを回っています。地球の自転や公転が続く限り、自然の営みも続いていくように思います。地球が今の姿を保つ時間は、まだ50億年ほどあると言われています。落語の「寿限無」に「五劫(ごこう)の擦り切れ」のフレーズで五劫という時間が出てきます。50億年は五劫と同じくらいの長さだと試算した記事を読んだことがあります。

一劫とは、四十里四方(約160キロメートル四方)の大きな岩に、天女が百年に一度だけ舞い降りてきて、羽衣で一回だけそっと撫でて岩を削る。その繰り返しをして、岩がすり減ってなくなるまでの長い時間のことです。約160キロメートル四方という広さは、東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏をすっぽり包み込むほどの規模です。それを五回繰り返したのが五劫です。

私たちの常識で考えれば、無限と言ってもよいほどの時間です。自分の命には限りがあります。しかし、自分がいなくなった後も、春はやって来て、草木は芽吹き、生き物たちは命をつないでいきます。

そう考えると、死ぬことも、それほど寂しいことではないように思えてきます。自分の命は終わっても、自然の大きな営みは続いていくのですから。

>死にざまを見せる
>人生最後の大仕事

生まれたばかりの赤ちゃんは、自分では何もできません。おっぱいを飲ませたり、おむつを替えたり、とにかく手がかかります。一方、年を取ると、次第に思うように体が動かなくなり、他人の世話が必要になってきます。

横軸に年齢、縦軸に自分でできることをとってグラフにすると、山型の曲線になります。生まれたときは何もできませんが、成長するにつれてできることが増え、やがて年齢とともに少しずつできないことが増えていくのです。

年を取れば、できないことが増えて当たり前です。親や周りの人たちに世話をしてもって成長し自分は子どもや周りの人たちの世話をしてきました。今度は、世話をしてもらう番です。

人に迷惑をかけるなどと、あまり考えなくてもいいのではないでしょうか。それも人生の自然な営みの一つなのです。そして、人生の最後には、もう一つ大切な仕事が待っています。それは、生きる喜びを伝えること。命の大切さを伝えること。そして、次の世代へ命をつないでいくことです。自分の体が思うように動かなくなっても、伝えられることはたくさんあります。それこそが、人生最後の大仕事なのではないでしょうか。

2026年10月13日火曜日

▶2026(令和8)年度 東京教区仏教壮年会連盟 門徒推進員1日研修会の感想(長生寺門徒 廣瀬隆夫)


築地本願寺は工事中でした。



作者の山本温(やまもと おん)さんは、「平成の新版画」を標榜し、現代の日本の風景を木版画で制作する若手版画家です。「築地百景」は、閉場間際の築地市場やその周辺の情景を内側と外側の両面から描いた作品群です。築地の交差点を通りかかりましたら、お母さんがこの絵ハガキを売っていましたので購入しました。外国人が大量に買ってくれることがあるので助かっていますと言っていました。1枚200円。

◆ ◆ ◆


 ▶2026(令和8)年度 東京教区仏教壮年会連盟 門徒推進員1日研修会の感想(長生寺門徒 廣瀬隆夫)

門徒推進員の研修会に参加しました。昨年は30人でしたが、今年は44人に増えて盛況な研修会になりました。ただ、参加者にもう少し若い門徒の人が入ってくれると良いなと思いました。たいへん内容の濃い良い研修会でした。教務所の皆さんありがとうございました。

■ 場所:築地本願寺 蓮華殿

■ 日時:2026年10月11日(日) 10時30分~16時45分

■ 開会式 10:30 

・勤行「重誓偈」、挨拶

■ 講義①「蓮如上人の生涯と伝道に学ぶ」(60分) 10時45分

・講師 那須公昭師(浄土真宗本願寺派 総合研究所)

・講題「蓮如上人の生涯と伝道に学ぶ」

▶ 内容と感想

蓮如上人の波乱に満ちた生涯をさらっと解説していただきました。門主を継職されたのは43歳だったのですね。それから新興宗教ゆえの迫害を受けながら浄土真宗を広めていった人徳と手腕は常人離れしていたのでしょうね。生涯、5人の妻を迎え、27人の子どもをもうけたというのはすごいですね。しかも、最後の子どもは84歳の時に生まれたというのですから驚きです。

私たちが使っている赤い日常勤行聖典(にちょうじょうごんぎょうせいてん)も蓮如上人が開版したというのは知りませんでした。お勤めで正信偈をあげますが、これも蓮如上人が考えたものだそうです。

蓮如上人は、本願寺をいろいろな所に移ししながら布教されていますが、必ず近くに海や湖がある所を拠点に選んでいます。当時は、陸路より海路が発達していましたので、貿易などの大きな商売をする場合は、水が必要だったのではないかと思います。海路を使って海賊まがいの商売をしていた商人に支持されていたのではないかと思います。戦略家で政治力もあったのですね。

それにしても、蓮如上人が、親鸞聖人の教えをずっと守り続けていたというのもすごいことです。新しい宗派を作ることも出来たのではないかと思いますが、いかに親鸞聖人の教えに帰依していたかがわかります。蓮如上人は、歎異抄を長い間、封印していたということは有名な話ですが、親鸞聖人の教えを完璧に理解していてそれが曲解されるのが許せなかったのでしょうね。

浄土真宗を作ったのは親鸞聖人ですが、その教義を万人が分かるように編集して知らしめたのが蓮如上人ではないかと思いました。広報担当、編集者やプロデューサーの才能があった人だったと思います。親鸞聖人と蓮如上人は、時代が違いますから直接的な接点はありませんが、二人三脚で浄土真宗を今ある形に作り上げた人だと思います。ソニーの創業者の井深大(まさる)さんと成田昭夫さん、あるいは、ホンダの本田宗一郎さんと藤沢武夫さんのような関係だったのではないでしょうか。

蓮如上人という存在がなかったら、今の浄土真宗がこんなに大きな教団にはなっていなかったのではないかと思いました。

~ 昼食(弁当) 12:00

■ 講義②「新しい連研の在り方について」(60分)13:00

・講師 宮本 義宣師(東京教区 神奈川組 高願寺)

・講題 「新しい連研の在り方について」

▶ 内容と感想

連研は、1978(昭和53)年に始まり、今年で48年目になるそうです。2028年には50周年になるので記念行事を行う予定だそうです。その間、連研の内容や進め方が大きく変わってきました。最初は、僧侶が主体になり浄土真宗の教義を教えることが中心でした。それゆえどうしても結論ありきの内容になってしまうきらいがありました。その反省を踏まえて、門徒からの問いを引き出すという方針に転換しました。そして、悩みや悲しみを聞きあいながら法に問い聞く連研へと方向転換をしました。今までは、お寺と関わってきた人が連研を受講するケースが多かったのですが。今後は、お寺とあまり関りが無かった人、聴聞の経験がない人にも参加してもらう方向に向かっているそうです。そのために、連研の12回の基礎学習のマニュアルが作成されました。

連研で最も重要な研修は話し合い法座です。今までの法座は、10人程度のグループで構成され、司会と記録、発表者を決めて進められてきました。しかし、この方法では、司会や記録者に選ばれた人に負担がかかり、十分の対話ができないという弊害がありました。深い対話をするためには、3人のグループがベストで、司会や記録をせずに対話に集中することで、より深い話ができるというお話がありました。

ということで、今回の話し合い法座は、前半5人と後半3人のグループを作って同じテーマで話し合いをすることになりました。

テーマは、「自らの死を受け入れていけるのか否か」です。中外日報の「疎死社会(造語)」という新聞記事から選ばれていました。記事はこのような内容でした。

• 死との疎遠化: 日本人の約4割が、身近な人の死を経験したことがないなど「死」と疎遠になっている

• 漠然とした不安の増加: 全体の4割強が「漠然とした不安を感じる」と回答している

• 逃避的な対処行動: 死と向き合う経験が乏しい層ほど、不安に対して逃避的な対処をとる

• 困難を乗り越える力への影響: 死から目を背けることが習慣化すると、人が脆弱化し死や困難を乗り越える力が弱まる

~ 休憩 14:00

■ 話し合い法座 (100分)

・テーマ 「自らの死を受け入れていけるのか否か」

・前半 5人グループ 14:15

・後半 3人グループ 15:00

▶ 内容と感想

高齢化社会は進み「多死社会」と呼ばれる時代に個々人が死と向き合う機会が失われている。それを、築地本願寺は「疎死社会」と名づけたのですが、そのことについて話し合いを行いました。親の延命治療を断った話、心筋梗塞でご自身が死にそうになった話、核家族が進んで人の死を見ないまま大人になり親の死で初めて死に出合うという人が増えてきたなどの話がありました。

私は、最近、青少年の自死が増えている話をしました。10代〜30代の死因の第1位は「自死」です。全体の自死者数が減少傾向にある一方で、若年層だけが増加傾向にあります。その要因は、疎死だと思います。若者がトーヨコなどと呼ばれるたまり場に行って薬をたくさん飲むオーバードーズが社会問題になっていますが、そのような人たちは、決して死にたいとは思っていないのではないかと思います。苦しみから逃れたい楽になりたいということから安易に死を選んでいるのではないかと思います。死に対する理解不足です。この世に居場所がない、生きている価値がない、死とは何だか分からない、とにかくこの場から逃げたい、そんな理由が自死を増やしている理由だと思います。

司会と記録、発表がないのは楽でしたが、関係ない話に花が咲いて暴走してしまうという危険性もあると思いました。3人グループの法座では、二人の女性と話しましたが、テーマと関係ない話がほとんどで少し困りました。脱線を防ぐためのファシリテーターが必要だと思いました。

~ 休憩 16:05

■ 講師よりまとめの講義 16:15

人はそれぞれ、意見が違っていたり理解が異なっていたり、考え方や価値観の不一致がある。「対話」を通して互いの思考プロセスに注意を払い、 他者を理解すると同時に、自分自身の理解を深めていく。そのようにすることで、お互いの理解が深まる上に相手との共通の理解を見いだすことができる、というような主旨のお話でした。

参加されていた人から、死について関心を持ってもらうためにお寺に行く機会を増やしたらどうかという提案がありました。例えば、喜寿、傘寿、米寿、卒寿などのタイミングで、門徒の皆さん向けにお寺が生前葬という法事を行ったらどうかという内容でした。法話で、若い人に死や命の大切さを話していくということは、進みゆく「疎死社会」を乗り越える名案だと思いました。

■ 閉会式 16:30

・挨拶、恩徳讚

■ 終了 16:45


◆ ◆ ◆

【参考資料1】

▶対話(ダイアローグ)のすすめ(高原寺住職 宮本 義宣さん)

■ 対話を通して、 お互いの理解を深め合う

10年以上前のことになりますが、お寺で仏教をテーマにワークショップをさせて欲しいとの申し出をいただき、 お寺で開催したことがありました。その催しで興味深かったのは、参加者が対話する時間が設けられていたこと。そのときは、たしか「無我」というテーマに沿って、3人のグループになって話し合ってもらい、しばらくしたらメンパーを入れ替え、また話を続けてもらうというものでした。

浄土真宗本願寺派でも、これまで「話し合い法座」という取り組みを50年間続けてきました。従来の法座は僧侶が一方的に法話をお話しすることが大半でした。しかし、「話し合い法座」では、 「聞いてくださる方々の気づきを大事にするため、法話終了後にそのテーマに沿って、7、8人のグループでそれぞれの想いを話し合い、開き合い、お互い理解を深めあうことを重要視したのです。

この法座のあり方は、本願寺第8代宗主蓮如上人がおっしゃった「四、五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」というお言葉を取り入れたものです。ちなみに、ここで言う「談合」は、悪い意味ではなく、 談じ合うこと。お互いが思ったままのことを口に出して、語り合うということです。仏法を一方的に聴くと、独りよがりになるので、聴いたことをみんなで話し合うことが大事ですよというおすすめでした。

■ 精神医学でも注目される 「対話」の重要性

さて、先述のワークショップでは、 この取り組みを「ダイアローグ」と呼び、 より人数を減らした3人で行いました。 私は初めて体験したのですが、より会話に近いような感じで気楽に話ができたように思います。何か結論を求められて導かれるのではなく、自分の思ったことを率直にお互いに話し合い、思考を深めていくことができたのです。

ダイアローグとは「対話」を意味します。アメリカの物理学者デビット・ ボーム (1917年-1992年)の定義によれば、「考えをはっきりと述べつつも、自分の主張や立場に固執することなく、互いの言わんとする意味を深く探求する会話」のことで、その目的は「相互の思考プロセスに深く入り込み、思考のプロセスを変えていくこと」 だそうです。

また、ダイアローグが、自由な雰囲気で行われる真剣な話し合いであって、 相手の意見を尊重しつつ、自分の意見との違いを認識して相互理解を深めることを目的としています。つまり、相手を説得するわけでもなく、独りよがりになるのでもなく、ということなのでしょうか。その重要性に注目され、 近年は企業の会議の場などに取り入れているそうです。

さらに、フィンランドの医療現場で取り入れられるようになった「オープン・ダイアローグ」という治療的介入の手法も注目されています。これは日本語訳では「開かれた対話」という意味。 にわか知識でしかありませんが、相手を批判しないでとにかく対話をするという決まり事を設けるというもの。統合失調症、うつ病、引きこもりなどに有効とされているそうです。

「ダイアローグ」や「オープン・ダイアローグ」が提唱するとても大事な部分は、「対話」の存在が、会社や組織、 あるいは医療現場で取り入れられていくのみならず、私たちの身の回りの環境のなかで求められているという点です。人はそれぞれ、意見が違っていたり理解が異なっていたり、考え方や価値観の不一致があります。「対話」を通して互いの思考プロセスに注意を払い、 他者を理解すると同時に、自分自身の理解を深めていく。そうすれば、お互いの理解が深まる上に相手との共通の理解を見いだすことができるのではと思うからです。家族や友人知人といった身近な環境の中でこそ、大事にしたいことのように思います。(築地本願寺新報 2026年4月号)

■ 宮本 義宣(みやもと・ぎせん)

1962年川崎市生まれ。高原寺住職。 ご縁のあるお寺やご門徒さん方が生産する全国の「よいもの」を扱う 「高願寺お取り寄せ市場」をはじめ、 生活にお寺を取り入れた豊かな暮らしをめざし、活動中。

【参考資料2】

▶「疎死社会」のいのちの意味 死者との関係がはらむ深淵(東京科学大教授 弓山達也さん)

本紙で報じた通り、先月公表された『2026年 築地本願寺不安調査』は、「多死社会」と呼ばれる時代に個々人が死と向き合う機会をむしろ失いつつあるという逆説を浮かび上がらせた。築地本願寺はこの状況を「疎死社会」と名づけた。

例えば「死と向き合う機会・時間や経験はあまりない」と答えた人は4割に達し、若年層では約2割が「墓がない、またはどこにあるか知らない」と答えたという。死が日常から遠ざけられることで、死への理解や心の整理がなされず、恐怖や不安だけが残り、それが現代人の漠然とした不安にもつながる、という指摘である。

一方で別の潮流もある。前世紀末から「葬送の自由」が唱えられ、葬儀や墓、死後のあり方を自ら選び、生前に整える傾向が強まった。納棺体験も広がり、デスカフェやDeathフェスでは、従来ならためらわれた死の話題が公然と語られる。人びとは死を疑似体験し、自分の死を自分で管理しようとする。

死を遠ざける「疎死」と、死を身近に引き寄せるこうした動向は、一見すると正反対である。もちろん、築地本願寺の意識調査と変化を先導する実践とでは、対象層も異なる。それでも両者は、死を前にした「いのち」を自分の意のうちに置こうとする発想で通じる。管理できない死は忌避し、関心の外へ置く。他方、管理可能と思われる死は手元に引き寄せ、計画し、選択する。いずれにも、いのちを自らの手で整えたいという志向が見えるのだ。

そんなことを考えながら大阪・関西万博で注目を集め、現在は東京・高輪で開催されている「いのちの未来+」を訪れた。石黒浩大阪大学教授がプロデュースする本展はアンドロイド、映像、演劇的な空間を通じ、「人間とは何か」「いのちとは何か」を問う。

老い、身体の限界、死といった避けがたい現実を、技術によって拡張し、記憶を保存し、生死さえある程度制御できる50年後の未来が示される。アンドロイドは問う。死を前にして、いのちを全うするのか、記憶をアンドロイドに引き継ぐのか。そもそも、いのちは身体に宿るのか、記憶にあるのか、それとも遺族との関係の中にあるのか、と。

問いは刺激的で、観る者に省察を促す。しかし同時に、どこか既視感のある平板な議論にも感じられた。結局、いのちは選択可能なデータとして扱われてはいないか。その視点からは、喪失の痛み、赦し、罪責、沈黙、祈りといった、死者との関係がはらむ深淵には届きにくい。また、私たち自身が生み出した技術の限界や、その不可逆的な進行へのためらいも、ほとんど見えてこなかった。

冒頭の疎死社会の報告で印象深いのは、死と向き合う経験が不安への耐性を育み、死の意識が生への活力を生む、という指摘である。いのちが自分の意のままにならないと悟るとき、人は小さな自分と向き合う。そして他者、自然、死者、さらには自分を超えた何ものかとの関係に目を開くのではないか。いのちの意味は、管理や選択の中だけでなく、その関係の深みにおいてこそ現れるのだ。(時事評論2026年9月16日 )

2026年10月2日金曜日

浄土真宗本願寺派 長生寺門徒総代会会則

 

浄土真宗本願寺派 長生寺門徒総代会会則 

 (名称・事務局) 

第1条 本会の名称は「長生寺門徒総代会」と称し、事務局を金沢区六浦2-8-2  長生寺に置く。 

 (目 的) 

第2条 本会は会員自らが率先して聴聞をし、浄土往生の素懐を遂げると共に、長生寺を浄土真宗のみ教えを伝える聞法の道場として、その使命を十分に果たせる寺院に する事を目的とする。 

 (活 動) 

第3条 本会は、前条の目的を達成するために次の活動を行う。 

一.住職の意見、提案に対して諮問をし、その実現のために協力をする。 

二.自ら積極的に聞法し、仏法を広める努力をする。 

三.門信徒の意見をくみ上げて寺院活動に反映させる。 

四.各種法要の進行と運営に協力する。 

五.寺院の護持発展に尽力する。 

六、前各号のほか、必要なこと。 

 (会 員) 

第4条 本会は、住職に委嘱された門徒総代を会員とする。 

(門徒総代の任期は4年とし、再任をさまたげない 長生寺寺則20条3) 

 (総 会) 

第5条 総会は、住職の承認を得た上で会長が召集し年1回以上開催する。会員の 3分の1以上の要請または、会長が必要と認めたときに随時これを開催する。 

2 総会は会員の2分の1以上の出席(委任状を含む)をもって成立とする。 

 (役 員) 

第6条 本会は役員として、会長(1)、副会長(1)、総務(2)、会計(1)、会計監査(1)を置く。 

2 役員の選出については会員の意見を尊重して住職が委嘱する。 

3 役員の任期は4年とし、再任をさまたげない。ただし「連続2期を限度」とする。 

4 役員に欠員が生じた場合、新任役員の任期は前任者の残任期間とする。 

5 本会に顧問を置くことができる。顧問は会員の承認を得て住職が委嘱する。 

 (会 計) 

第7条 この会の会計年度は毎年4月1日から翌年3月31日迄とする。 

2 この会の経費は会費、助成金、寄付金等をもって充てる。 

2-1 この会の会費は年額2,000円とし、新年度の4月に徴収する。  

3 その他、臨時的経費が生じたときは別途徴収する。 

 (付 則) 

本会則は会員の3分の2以上の同意と住職の承認を以って変更することができる。  

本会則は、平成14年7月1日より施行する。但し、平成14年4月1日に遡って 適用する。 

(平成18年4月1日 6条1項変更) 

2026年7月7日火曜日

▶鎌倉組仏教壮年会連盟講演会「親鸞聖人一代記(落語)」の報告

 ▶鎌倉組仏教壮年会連盟講演会「親鸞聖人一代記(落語)」の報告



「親鸞聖人一代記」と題した落語をお聴きしました。90分にわたる長時間のお話でしたが、親鸞聖人の半生について分かりやすく、詳しく解説していただきました。

落語をお聴きして、改めてプロの落語家の話術の素晴らしさを実感しました。まず、まくらで面白い話をして聴衆の心をつかみます。そして、少し集中力が途切れそうな頃合いになると、演題とは直接関係のない時事問題や身近な話題を巧みに織り交ぜ、聴衆を飽きさせません。その絶妙な話の運びによって、90分という長時間にもかかわらず、最後まで興味深く聴講することができました。

落語は通常30分から60分程度と聞きますので、90分という長丁場は師匠にとっても大変だったのではないかと思います。それでも終始軽妙な語り口で会場を引き込み、さすがはプロだと感心しました。

今回の落語では、親鸞聖人が生きた時代背景についても詳しく説明していただきました。今から約850年前の日本は、貴族から武士へと権力構造が移り変わり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。まさに鴨長明が『方丈記』で描いたような時代です。

落語の中では、京都の鴨川に多くの人々の遺体が流れ、川をせき止めるほどだったという話も紹介され、その悲惨さに衝撃を受けました。そのような激動の時代の中で、親鸞聖人は人々の苦しみに寄り添い、新しい仏教の道を示した人物であったことを改めて感じました。

参加者からは、「親鸞聖人の生涯について断片的な知識はあったが、今回の落語を聴いて点と点がつながり、全体像を理解することができた」という感想も寄せられました。今回は親鸞聖人が越後へ流罪となる場面までのお話でしたが、「ぜひ後半も聴いてみたい」という声も多く聞かれました。ぜひ、続きの講演会を企画したいと思います。また、役員の中から閉会式に恩徳讃(おんどくさん)を歌ったらどうかというご意見がありました。

親鸞聖人の生涯や教えを身近に感じることのできる、大変有意義な講演会となりました。(長生寺門徒 廣瀬)


・演題: 落語「親鸞聖人一代記」
・演者:三遊亭右左喜(さんゆうてい うさぎ) 師匠
・期日:令和 8 年 7 月 5 日(日曜日)
・場所:聚楽山 長生寺 寿楽会館(横浜市金沢区六浦2-8-2)
・共催:鎌倉組仏教壮年会連盟、鎌倉組総代世話人研修会

・参加:61名

・スケジュール
 13:30 開場・受付
 13:45 開会式(司会:田中理事長)
 ・開会挨拶:来恩寺 橋本住職
 ・真宗宗歌唱和:全員
 14:00 落語:三遊亭右左喜 師匠
 14:45~15:00 休憩
 15:45 閉会式
 ・閉会挨拶:長生寺 六浦住職
 16:00 終了

【親鸞聖人の関連書籍の紹介】
・親鸞の生涯 豊原大成著 法蔵館 2002年
・大きな字の歎異抄 本願寺出版社 2018年
・仏事のイロハ 本願寺出版社 2009年

【お知らせ】
・NHK100分de名著「教行信証」
・放送:7/6、7/13、7/20、7/27 10:25~50
https://mag.nhk-book.co.jp/article/92560

【落語要約】
親鸞聖人は1173年、京都の公家の家に生まれました。しかし、幼くして両親を亡くし、9歳で出家して比叡山に入りました。以来20年にわたり厳しい修行に励みましたが、「どれほど修行を重ねても、自分の煩悩を断ち切ることができない」という深い悩みを抱くようになりました。

そこで比叡山を下り、京都の六角堂に百日間参籠して救いの道を求めました。その中で法然上人の念仏の教えに出会い、大きな感銘を受けます。法然上人は、難しい修行や身分の違い、男女の別に関係なく、ただ阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われると説きました。親鸞聖人はこの教えに深く帰依し、生涯の師と仰ぎました。

日本では貴族から武士へと権力構造が移り変わりつつあり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。京の都でも、多くの人々が生きるか死ぬかの厳しい状況に置かれていたといわれます。このような激動の時代の中で、法然上人の念仏の教えは、農民や武士をはじめ多くの人々の心をとらえ、急速に広まっていきました。

しかし、その教えは当時の仏教界に大きな衝撃を与えることにもなりました。身分や性別を問わず、阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われるという教えは、厳しい修行を重んじる既存の仏教勢力から激しい反発を受けたのです。

その結果、1207年に念仏弾圧が行われ、法然上人は土佐国(現在の高知県)へ、親鸞聖人は35歳で越後国(現在の新潟県)へ流罪となりました。

しかし、この苦難こそが親鸞聖人の教えを深める大きな転機となりました。流罪の地で多くの庶民と共に暮らし、人々の苦しみや悲しみに寄り添う中で、「どのような人も見捨てられることなく救われる」という信念をさらに強くしていったのです。





















2026年6月10日水曜日

▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加(長生寺門徒 廣瀬隆夫)

 ▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加報告

釈尊奉讃会のバス旅行に初めて参加しました。5月27日、早朝7時に町屋神社を大型バスで出発しました。長生寺からは1名でしたが、たいへん立派な古刹(こさつ)を見学させていただき他の寺院の檀家の方との交流もできて楽しいバス旅行となりました。

可睡斎(かすいさい)は、火防信仰の総本山である秋葉総本殿ということで、火の神様を祀っているお寺でした。秋葉信仰と関係しているとは知りませんでした。江戸時代には、大道からも町内の代表者が秋葉神社まで歩いてお参りに行っていたということを古老から聞いていました。その時にいただいた古い御札を旧家に見せていただいたことがあります。六浦の川町内会では、今でも秋葉神社に行っているとお聞きしました。

可睡斎のトイレは立派でした。「トイレの神様」として知られる「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られていました。神様に上から見られているということで落ち着きませんでしたが・・・。大の方は、ほとんど和式でしたので少し困りました。トイレは、健康のためには欠かすことが出来ないところですから大切にしたいですね。トイレに貼る御札を買いました。

お昼は、精進料理をいただきました。肉や魚はありませんでしたが味付けが工夫されていておいしかったです。全部いただいたらお腹がいっぱいになりました。でも若い人は物足りないかもしれませんね。

箸受けに禅宗で用いている食前の言葉が書いてありました。毎日なんとなくご飯を食べていますが、禅宗では食べるということに対して、これだけ深く考えられているということに驚きました。

【五観の偈(ごかんのげ)(食事訓)】
一つには功の多少を計り、彼(か)の来所を量る。
二つには己が徳行(とくぎょう)の、全缺(ぜんけつ)を付って(はかって)供(く)に応ず。
三つには心を防ぎ過(とが)を離るる事は、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五つには成道(じょうどう)の為の故に、今此の食(じき)を受く。

ネットの力をお借りして訳してみました。
【五観の偈(超現代語訳)】
1.食事に感謝する
この食事がここに届くまでに、どれほど多くの人々の働きや自然の恵みがあったかを思う。
2.自分の行いを振り返る
自分の行いを振り返り、この食事をいただくに値する生き方をしているかを考える。
3.欲張らない
貪り(むさぼり)、怒り、愚かさなどの煩悩に支配されないよう心を慎む。
4.健康のために食べる
食事は楽しみや贅沢のためではなく、身体を養い健康を保つための良薬としていただく。
5.より良く生きるために食べる
仏の教えにかなった生き方を実践し、人として成長するために食事をいただく。

私は、健康の秘訣として快食快便快眠が出来ることを心がけていますが、可睡斎に来たことで、その願いが叶えられるのではないかと思いました。

また、禅の修行僧である雲水(うんすい)が生活する部屋を見学させていただきました。そこには私たちの日常生活で当たり前のように目にする物はほとんどなく、修行に不要なものは一切置かれていませんでした。

雲水たちは、畳一枚ほどの自分専用の空間で寝起きをし、読経や坐禅に励みます。限られた空間の中で規則正しい生活を送りながら、自らの心と向き合う姿に深い感銘を受けました。

現代社会では、スマートフォンやインターネットによって常に多くの情報に囲まれています。便利な反面、安易な生活に流されて本当に大切なものが見えなくなっているのではないかと思いました。何もない空間で静かに過ごす雲水の暮らしは、とても貴重で新鮮なものに映りました。自分の生活も見直したいと思いました。

法多山(ほったさん)は、石段をだいぶ上った所にありました。みなさん、足腰が強いですね。私は、石段でなく、なだらかな道の方を歩いて上りました。大きな杉の木や苔むした石像などがあり良い雰囲気でした。百畳敷の部屋もありお寺の大きさに驚きました。

本堂の前に、相互供養(そうごくよう) と 相互禮拝(そうごらいはい) と書かれた柱がありました。このことについて住職にお話していただきました。自分なりに考えてみますとこんなことかなと思いました。

相互供養とは、人は一人で生きているのではなく、お互いに支え合い、お互いを生かし合っている存在であるということ。「供養」という言葉は、故人のためにお経をあげたり、お墓参りをしたりすることですが、故人から受けた恩に感謝し、自分自身も、よりよく生きようとする考えでもあるんですね。

例えば、
親は子を育てるが子は親に生きる喜びを与える
教える人は学ぶ人からの問いかけによって成長する
災害時に地域の人々が互いに支えあって助け合う

このように、一方的に与える者と受ける者がいるのではなく、互いに供養し合う関係にあるという考え方です。

相互禮拝とは、お互いの中に仏性や尊い命を認め合い、敬い合うことです。単に頭を下げることではなく、相手の尊厳を認めることにその本質があります。自分がかけがえのない存在であるように、目の前の人もまた、かけがえのない尊い存在として見るのです。

お釈迦様が誕生の際に唱えられたと伝えられる「天上天下唯我独尊」という言葉も、「自分だけが尊い」という意味ではありません。この世に生まれた一人ひとりが、他と代わることのできない唯一無二の尊い存在であることを示した言葉と受け取ることができます。その意味で、相互禮拝の精神にも通じるものがあると思いました。

高齢者も、子どもも、障害のある人も、過ちを犯した人も、みな同じ命の尊さを持つ存在として敬われるということだと思いました。

私は、保護司をやっていますが、この二つの言葉は大切な意味を持っていると思いました。対象者を「指導する相手」とだけ見るのではなく、自分もまた多くのことを学ばせてもらっている(相互供養)、相手を一人の尊い人格として敬う(相互禮拝)という姿勢が求められると思いました。

実際には、保護司が対象者を支えているように見えても、保護司自身が人生について学び、人として成長させてもらうことがあります。そこに相互供養の世界があります。また、過ちを犯した人であっても、その人の尊厳を失わずに接するところに相互禮拝の精神があります。

一言で言えば
相互供養 = お互いに支え合い生かし合うこと
相互禮拝 = お互いを尊い存在として敬い合うこと

どちらの言葉にも、「人は一人で生きているのではなく、ご縁によって支えられ、ともに生きる存在である」という仏教の智慧が感じられます。宗派は違いますが、親鸞聖人の説かれた「御同朋(おんどうぼう)」の精神にも通じるように思いました。私たちは師弟や上下の関係を超えて、ともに仏さまのお慈悲に生かされる仲間であるという教えです。

法多山は、はっか飴や串団子などのスイーツも有名で、お土産に買って味わってみました。江戸時代から受け継がれてきた食べ物だけあって、どちらも素朴で飽きのこない深い味わいがあり、食べ終わってから、もう一口食べたくなるような魅力がありました。

可睡斎や法多山尊永寺は、いずれも長い歴史を持つ寺院ですが、私の地元の鎌倉仏教の「お寺」のイメージとは少し異なる雰囲気がありました。今もなお神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残が感じられました。古くからあった神道が仏教をうまく取り入れた日本人の器用さを見たように思いました。

境内を歩いていると、神社のような森の静けさと、仏教寺院の厳かな空気が違和感なく共存していることに気づかされました。境内の木々を渡る風に吹かれながら、そんな先人たちの信仰の姿に思いを馳せることができたのは、とても貴重な体験でした。

バス旅行というのは、車窓から景色を眺めている時間が長いものですが、それは同時に、自分なりにさまざまな思いをめぐらせる時間でもあります。今日も多くのことを学ばせていただき、大変有意義な旅行となりました。

帰りのバスの車窓からは、美しい富士山の姿が見えました。その麓にはのどかな田園風景が広がっていました。この平和な日々がいつまでも続き、この美しい風景が子や孫の代まで変わることなく受け継がれていってほしい。そんな願いを抱きながら、帰路につきました。

この旅行を企画してお世話をしていただいた釋尊奉讃会のスタッフの方々に感謝いたします。ありがとうございました。合掌

● 参拝日:令和8年5月27日(水) 7時~18時15分

● 参加寺 45名(宮島バス 横浜市港南区笹下一丁目五番九号)

・宝珠院(富岡) 4名、慶珊寺(けいさんじ富岡) 3名、長生寺(ちょうしょうじ六浦) 1名、東光禅寺(釜利谷) 2名、薬王寺(やこうじ寺前) 6名、寶蔵院(ほうぞういん小柴) 5名、光傳寺(六浦) 1名、正法院(釜利谷) 5名、染王寺(ぜんのうじ野島) 3名、禅林寺(釜利谷) 5名、金蔵院(釜利谷) 2名、称名寺(金沢) 2名、持明院(富岡) 2名、龍華寺(りゅうげじ洲崎) 3名、泥牛庵(でいぎゅうあん瀬戸) 1名、(添乗員 1名、バスガイド 1名)

● 行程

・7:00 町屋神社ー能見台 IC—横横道路一東名道・新東名道—森掛川 IC

・11:00~13:00 曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

・13:30~14:20 高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

・18:15 新東名道—休憩—横横道路—町屋神社 

● 見学内容

1.曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

1)可睡齋の由来

当齋の第十一世仙麟等膳大和尚は、幼い家康公を戦乱から救ったことがあり、後に家康公が浜松城主になった折、報恩のために城へ招かれましたが、なんとその席で居眠りを始めてしまいました。それを見た家康公は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、「和尚、睡る可し(ねむるべし)」(御前で眠っても無礼ではないとの意)と言い、「可睡和尚」と愛称されるようになりました。これにより寺号も東陽軒から可睡齋へと改められ、後に十万石の待遇と徳川幕府最初の僧録司(そうろくじ)という職も与えられました。

2)火防信仰千三百年の歴史と宗門六百年以上の伝統

統を誇る東海屈指の名刹・可睡齋は、秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る祈祷道場として、また多くの雲水たちが修行する曹洞宗の専門僧堂「禅の寺」として知られています。

一方、春は牡丹・百合、秋は紅葉など四季折々の自然景観が楽しめる「花の寺」としても親しまれているほか、昨今健康食として注目されている精進料理がおいしい「味の寺」としての人気も高まっています。























2.高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

1)法多山 略縁起

法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、 徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

2)厄除だんご

厄除だんごは、江戸時代、十三代将軍家定公の頃に幕府献上の土産に添えられ、将軍家より「くし団子」と御命名されたことにはじまります。以来一五〇年以上にわたり「厄除だんご」と称され、ご参詣の皆様に親しまれています。「厄除茶だんご」「厄除氷」などご縁日や四季折々限定のおだんごもございます。