2026年7月7日火曜日

▶鎌倉組仏教壮年会連盟講演会「親鸞聖人一代記(落語)」の報告

 ▶鎌倉組仏教壮年会連盟講演会「親鸞聖人一代記(落語)」の報告



「親鸞聖人一代記」と題した落語をお聴きしました。90分にわたる長時間のお話でしたが、親鸞聖人の半生について分かりやすく、詳しく解説していただきました。

らくごをお聴きして、改めてプロの落語家の話術の素晴らしさを実感しました。まず、まくらで面白い話をして聴衆の心をつかみます。そして、少し集中力が途切れそうな頃合いになると、演題とは直接関係のない時事問題や身近な話題を巧みに織り交ぜ、聴衆を飽きさせません。その絶妙な話の運びによって、90分という長時間にもかかわらず、最後まで興味深く聴講することができました。

落語は通常30分から60分程度と聞きますので、90分という長丁場は師匠にとっても大変だったのではないかと思います。それでも終始軽妙な語り口で会場を引き込み、さすがはプロだと感心しました。

今回の落語では、親鸞聖人が生きた時代背景についても詳しく説明していただきました。今から約850年前の日本は、貴族から武士へと権力構造が移り変わり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。まさに鴨長明が『方丈記』で描いたような時代です。

落語の中では、京都の鴨川に多くの人々の遺体が流れ、川をせき止めるほどだったという話も紹介され、その悲惨さに衝撃を受けました。そのような激動の時代の中で、親鸞聖人は人々の苦しみに寄り添い、新しい仏教の道を示した人物であったことを改めて感じました。

参加者からは、「親鸞聖人の生涯について断片的な知識はあったが、今回の落語を聴いて点と点がつながり、全体像を理解することができた」という感想も寄せられました。今回は親鸞聖人が越後へ流罪となる場面までのお話でしたが、「ぜひ後半も聴いてみたい」という声も多く聞かれました。ぜひ、続きの講演会を企画したいと思います。また、役員の中から閉会式に恩徳讃(おんどくさん)を歌ったらどうかというご意見がありました。

親鸞聖人の生涯や教えを身近に感じることのできる、大変有意義な講演会となりました。(長生寺門徒 廣瀬)


・演題: 落語「親鸞聖人一代記」

・演者:三遊亭右左喜(さんゆうてい うさぎ) 師匠

・期日:令和 8 年 7 月 5 日(日曜日)

・場所:聚楽山 長生寺 寿楽会館(横浜市金沢区六浦2-8-2)

・共催:鎌倉組仏教壮年会連盟、鎌倉組総代世話人研修会

・参加:61名

・スケジュール

 13:30 開場・受付

 13:45 開会式(司会:田中会長)

 ・開会挨拶:来恩寺 橋本住職

 ・真宗宗歌唱和:全員

 14:00 落語:三遊亭右左喜 師匠

 14:45~15:00 休憩

 15:45 閉会式

 ・閉会挨拶:長生寺 六浦住職

 16:00 終了

【落語要約】

親鸞聖人は1173年、京都の公家の家に生まれました。しかし、幼くして両親を亡くし、9歳で出家して比叡山に入りました。以来20年にわたり厳しい修行に励みましたが、「どれほど修行を重ねても、自分の煩悩を断ち切ることができない」という深い悩みを抱くようになりました。

そこで比叡山を下り、京都の六角堂に百日間参籠して救いの道を求めました。その中で法然上人の念仏の教えに出会い、大きな感銘を受けます。法然上人は、難しい修行や身分の違い、男女の別に関係なく、ただ阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われると説きました。親鸞聖人はこの教えに深く帰依し、生涯の師と仰ぎました。

日本では貴族から武士へと権力構造が移り変わりつつあり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。京の都でも、多くの人々が生きるか死ぬかの厳しい状況に置かれていたといわれます。このような激動の時代の中で、法然上人の念仏の教えは、農民や武士をはじめ多くの人々の心をとらえ、急速に広まっていきました。

しかし、その教えは当時の仏教界に大きな衝撃を与えることにもなりました。身分や性別を問わず、阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われるという教えは、厳しい修行を重んじる既存の仏教勢力から激しい反発を受けたのです。

その結果、1207年に念仏弾圧が行われ、法然上人は土佐国(現在の高知県)へ、親鸞聖人は35歳で越後国(現在の新潟県)へ流罪となりました。

しかし、この苦難こそが親鸞聖人の教えを深める大きな転機となりました。流罪の地で多くの庶民と共に暮らし、人々の苦しみや悲しみに寄り添う中で、「どのような人も見捨てられることなく救われる」という信念をさらに強くしていったのです。





















2026年6月10日水曜日

▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加(長生寺門徒 廣瀬隆夫)

 ▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加報告

釈尊奉讃会のバス旅行に初めて参加しました。5月27日、早朝7時に町屋神社を大型バスで出発しました。長生寺からは1名でしたが、たいへん立派な古刹(こさつ)を見学させていただき他の寺院の檀家の方との交流もできて楽しいバス旅行となりました。

可睡斎(かすいさい)は、火防信仰の総本山である秋葉総本殿ということで、火の神様を祀っているお寺でした。秋葉信仰と関係しているとは知りませんでした。江戸時代には、大道からも町内の代表者が秋葉神社まで歩いてお参りに行っていたということを古老から聞いていました。その時にいただいた古い御札を旧家に見せていただいたことがあります。六浦の川町内会では、今でも秋葉神社に行っているとお聞きしました。

可睡斎のトイレは立派でした。「トイレの神様」として知られる「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られていました。神様に上から見られているということで落ち着きませんでしたが・・・。大の方は、ほとんど和式でしたので少し困りました。トイレは、健康のためには欠かすことが出来ないところですから大切にしたいですね。トイレに貼る御札を買いました。

お昼は、精進料理をいただきました。肉や魚はありませんでしたが味付けが工夫されていておいしかったです。全部いただいたらお腹がいっぱいになりました。でも若い人は物足りないかもしれませんね。

箸受けに禅宗で用いている食前の言葉が書いてありました。毎日なんとなくご飯を食べていますが、禅宗では食べるということに対して、これだけ深く考えられているということに驚きました。

【五観の偈(ごかんのげ)(食事訓)】
一つには功の多少を計り、彼(か)の来所を量る。
二つには己が徳行(とくぎょう)の、全缺(ぜんけつ)を付って(はかって)供(く)に応ず。
三つには心を防ぎ過(とが)を離るる事は、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五つには成道(じょうどう)の為の故に、今此の食(じき)を受く。

ネットの力をお借りして訳してみました。
【五観の偈(超現代語訳)】
1.食事に感謝する
この食事がここに届くまでに、どれほど多くの人々の働きや自然の恵みがあったかを思う。
2.自分の行いを振り返る
自分の行いを振り返り、この食事をいただくに値する生き方をしているかを考える。
3.欲張らない
貪り(むさぼり)、怒り、愚かさなどの煩悩に支配されないよう心を慎む。
4.健康のために食べる
食事は楽しみや贅沢のためではなく、身体を養い健康を保つための良薬としていただく。
5.より良く生きるために食べる
仏の教えにかなった生き方を実践し、人として成長するために食事をいただく。

私は、健康の秘訣として快食快便快眠が出来ることを心がけていますが、可睡斎に来たことで、その願いが叶えられるのではないかと思いました。

また、禅の修行僧である雲水(うんすい)が生活する部屋を見学させていただきました。そこには私たちの日常生活で当たり前のように目にする物はほとんどなく、修行に不要なものは一切置かれていませんでした。

雲水たちは、畳一枚ほどの自分専用の空間で寝起きをし、読経や坐禅に励みます。限られた空間の中で規則正しい生活を送りながら、自らの心と向き合う姿に深い感銘を受けました。

現代社会では、スマートフォンやインターネットによって常に多くの情報に囲まれています。便利な反面、安易な生活に流されて本当に大切なものが見えなくなっているのではないかと思いました。何もない空間で静かに過ごす雲水の暮らしは、とても貴重で新鮮なものに映りました。自分の生活も見直したいと思いました。

法多山(ほったさん)は、石段をだいぶ上った所にありました。みなさん、足腰が強いですね。私は、石段でなく、なだらかな道の方を歩いて上りました。大きな杉の木や苔むした石像などがあり良い雰囲気でした。百畳敷の部屋もありお寺の大きさに驚きました。

本堂の前に、相互供養(そうごくよう) と 相互禮拝(そうごらいはい) と書かれた柱がありました。このことについて住職にお話していただきました。自分なりに考えてみますとこんなことかなと思いました。

相互供養とは、人は一人で生きているのではなく、お互いに支え合い、お互いを生かし合っている存在であるということ。「供養」という言葉は、故人のためにお経をあげたり、お墓参りをしたりすることですが、故人から受けた恩に感謝し、自分自身も、よりよく生きようとする考えでもあるんですね。

例えば、
親は子を育てるが子は親に生きる喜びを与える
教える人は学ぶ人からの問いかけによって成長する
災害時に地域の人々が互いに支えあって助け合う

このように、一方的に与える者と受ける者がいるのではなく、互いに供養し合う関係にあるという考え方です。

相互禮拝とは、お互いの中に仏性や尊い命を認め合い、敬い合うことです。単に頭を下げることではなく、相手の尊厳を認めることにその本質があります。自分がかけがえのない存在であるように、目の前の人もまた、かけがえのない尊い存在として見るのです。

お釈迦様が誕生の際に唱えられたと伝えられる「天上天下唯我独尊」という言葉も、「自分だけが尊い」という意味ではありません。この世に生まれた一人ひとりが、他と代わることのできない唯一無二の尊い存在であることを示した言葉と受け取ることができます。その意味で、相互禮拝の精神にも通じるものがあると思いました。

高齢者も、子どもも、障害のある人も、過ちを犯した人も、みな同じ命の尊さを持つ存在として敬われるということだと思いました。

私は、保護司をやっていますが、この二つの言葉は大切な意味を持っていると思いました。対象者を「指導する相手」とだけ見るのではなく、自分もまた多くのことを学ばせてもらっている(相互供養)、相手を一人の尊い人格として敬う(相互禮拝)という姿勢が求められると思いました。

実際には、保護司が対象者を支えているように見えても、保護司自身が人生について学び、人として成長させてもらうことがあります。そこに相互供養の世界があります。また、過ちを犯した人であっても、その人の尊厳を失わずに接するところに相互禮拝の精神があります。

一言で言えば
相互供養 = お互いに支え合い生かし合うこと
相互禮拝 = お互いを尊い存在として敬い合うこと

どちらの言葉にも、「人は一人で生きているのではなく、ご縁によって支えられ、ともに生きる存在である」という仏教の智慧が感じられます。宗派は違いますが、親鸞聖人の説かれた「御同朋(おんどうぼう)」の精神にも通じるように思いました。私たちは師弟や上下の関係を超えて、ともに仏さまのお慈悲に生かされる仲間であるという教えです。

法多山は、はっか飴や串団子などのスイーツも有名で、お土産に買って味わってみました。江戸時代から受け継がれてきた食べ物だけあって、どちらも素朴で飽きのこない深い味わいがあり、食べ終わってから、もう一口食べたくなるような魅力がありました。

可睡斎や法多山尊永寺は、いずれも長い歴史を持つ寺院ですが、私の地元の鎌倉仏教の「お寺」のイメージとは少し異なる雰囲気がありました。今もなお神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残が感じられました。古くからあった神道が仏教をうまく取り入れた日本人の器用さを見たように思いました。

境内を歩いていると、神社のような森の静けさと、仏教寺院の厳かな空気が違和感なく共存していることに気づかされました。境内の木々を渡る風に吹かれながら、そんな先人たちの信仰の姿に思いを馳せることができたのは、とても貴重な体験でした。

バス旅行というのは、車窓から景色を眺めている時間が長いものですが、それは同時に、自分なりにさまざまな思いをめぐらせる時間でもあります。今日も多くのことを学ばせていただき、大変有意義な旅行となりました。

帰りのバスの車窓からは、美しい富士山の姿が見えました。その麓にはのどかな田園風景が広がっていました。この平和な日々がいつまでも続き、この美しい風景が子や孫の代まで変わることなく受け継がれていってほしい。そんな願いを抱きながら、帰路につきました。

この旅行を企画してお世話をしていただいた釋尊奉讃会のスタッフの方々に感謝いたします。ありがとうございました。合掌

● 参拝日:令和8年5月27日(水) 7時~18時15分

● 参加寺 45名(宮島バス 横浜市港南区笹下一丁目五番九号)

・宝珠院(富岡) 4名、慶珊寺(けいさんじ富岡) 3名、長生寺(ちょうしょうじ六浦) 1名、東光禅寺(釜利谷) 2名、薬王寺(やこうじ寺前) 6名、寶蔵院(ほうぞういん小柴) 5名、光傳寺(六浦) 1名、正法院(釜利谷) 5名、染王寺(ぜんのうじ野島) 3名、禅林寺(釜利谷) 5名、金蔵院(釜利谷) 2名、称名寺(金沢) 2名、持明院(富岡) 2名、龍華寺(りゅうげじ洲崎) 3名、泥牛庵(でいぎゅうあん瀬戸) 1名、(添乗員 1名、バスガイド 1名)

● 行程

・7:00 町屋神社ー能見台 IC—横横道路一東名道・新東名道—森掛川 IC

・11:00~13:00 曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

・13:30~14:20 高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

・18:15 新東名道—休憩—横横道路—町屋神社 

● 見学内容

1.曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

1)可睡齋の由来

当齋の第十一世仙麟等膳大和尚は、幼い家康公を戦乱から救ったことがあり、後に家康公が浜松城主になった折、報恩のために城へ招かれましたが、なんとその席で居眠りを始めてしまいました。それを見た家康公は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、「和尚、睡る可し(ねむるべし)」(御前で眠っても無礼ではないとの意)と言い、「可睡和尚」と愛称されるようになりました。これにより寺号も東陽軒から可睡齋へと改められ、後に十万石の待遇と徳川幕府最初の僧録司(そうろくじ)という職も与えられました。

2)火防信仰千三百年の歴史と宗門六百年以上の伝統

統を誇る東海屈指の名刹・可睡齋は、秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る祈祷道場として、また多くの雲水たちが修行する曹洞宗の専門僧堂「禅の寺」として知られています。

一方、春は牡丹・百合、秋は紅葉など四季折々の自然景観が楽しめる「花の寺」としても親しまれているほか、昨今健康食として注目されている精進料理がおいしい「味の寺」としての人気も高まっています。























2.高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

1)法多山 略縁起

法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、 徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

2)厄除だんご

厄除だんごは、江戸時代、十三代将軍家定公の頃に幕府献上の土産に添えられ、将軍家より「くし団子」と御命名されたことにはじまります。以来一五〇年以上にわたり「厄除だんご」と称され、ご参詣の皆様に親しまれています。「厄除茶だんご」「厄除氷」などご縁日や四季折々限定のおだんごもございます。