2026年6月10日水曜日

▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加(長生寺門徒 廣瀬隆夫)

 ▶金沢区釈尊奉讃会の日帰りバス旅行に参加報告

釈尊奉讃会のバス旅行に初めて参加しました。長生寺からは1名でしたが、他の寺院の檀家の方と交流ができて楽しいバス旅行となりました。

可睡斎(かすいさい)は、火防信仰の総本山である秋葉総本殿ということで、火の神様を祀っているのですね。秋葉信仰と関係しているとは知りませんでした。江戸時代には、大道からも町内の代表者が秋葉神社まで歩いてお参りに行っていたそうです。旧家に、その時の御札が残っています。川町内会では、今でも行っているとお聞きしました。

可睡斎のトイレは立派でしたね。「トイレの神様」として知られる「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られていました。神様に見られているということで落ち着きませんでした。でも、トイレは、健康のためには欠かすことが出来ないところですから大切にしたいですね。大の方は、ほとんど和式でちょっと困りました。

精進料理をおいしくいただきました。肉や魚はありませんでしたが、全部いただいたらお腹がいっぱいになりました。でも若い人は物足りないかもしれませんね。箸受けに禅宗で用いている食前の言葉が書いてありました。毎日なんとなく食べていますが、禅宗では食べるということに対して、これだけ深く考えられているということに驚きました。

【五観の偈(ごかんのげ)(食事訓)】
一つには功の多少を計り、彼(か)の来所を量る。
二つには己が徳行(とくぎょう)の、全缺(ぜんけつ)を付って(はかって)供(く)に応ず。
三つには心を防ぎ過(とが)を離るる事は、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五つには成道(じょうどう)の為の故に、今此の食(じき)を受く。

【五観の偈(超現代語訳)】
1.食事に感謝する
この食事がここに届くまでに、どれほど多くの人々の働きや自然の恵みがあったかを思う。
2.自分の行いを振り返る
自分の行いを振り返り、この食事をいただくに値する生き方をしているかを考える。
3.欲張らない
貪り(むさぼり)、怒り、愚かさなどの煩悩に支配されないよう心を慎む。
4.健康のために食べる
食事は楽しみや贅沢のためではなく、身体を養い健康を保つための良薬としていただく。
5.より良く生きるために食べる
仏の教えにかなった生き方を実践し、人として成長するために食事をいただく。

法多山(ほったさん)は、石段をだいぶ上った所にありました。みなさん、足腰が強いですね。私は、石段でなく、なだらかな道の方を歩いて上りました。大きな杉の木や苔むした石像などがあり良い雰囲気でした。百畳敷の部屋もありお寺の大きさに驚きました。

本堂の前に、相互供養(そうごくよう) と 相互禮拜(そうごらいはい) と書かれた柱がありました。このことについて住職にお話していただきました。自分なりに考えてみますとこんなことかなと思いました。

相互供養とは、人は一人で生きているのではなく、お互いに支え合い、お互いを生かし合っている存在であるということ。「供養」という言葉は、故人のためにお経をあげたり、お墓参りをしたりすることですが、故人から受けた恩に感謝し、自分自身も、よりよく生きようとする考えでもあるんですね。

例えば、
親は子を育てるが子は親に生きる喜びを与える
教える人は学ぶ人からの問いかけによって成長する
災害時に地域の人々が互いに支えあって助け合う

このように、一方的に与える者と受ける者がいるのではなく、互いに供養し合う関係にあるという考え方です。

相互禮拜とは、お互いの中に仏性や尊い命を認め合い、敬い合うことです。単に頭を下げることではなく、相手の尊厳を認めることにその本質があります。自分がかけがえのない存在であるように、目の前の人もまた、かけがえのない尊い存在として見るのです。

お釈迦様が誕生の際に唱えられたと伝えられる「天上天下唯我独尊」という言葉も、「自分だけが尊い」という意味ではありません。この世に生まれた一人ひとりが、他と代わることのできない唯一無二の尊い存在であることを示した言葉と受け取ることができます。その意味で、相互禮拜の精神にも通じるものがあると思いました。

高齢者も、子どもも、障害のある人も、過ちを犯した人も、みな同じ命の尊さを持つ存在として敬われるということだと思いました。

私は、保護司をやっていますが、この二つの言葉は大切な意味を持っていると思いました。対象者を「指導する相手」とだけ見るのではなく、自分もまた多くのことを学ばせてもらっている(相互供養)、相手を一人の尊い人格として敬う(相互禮拜)という姿勢が求められると思いました。

実際には、保護司が対象者を支えているように見えても、保護司自身が人生について学び、人として成長させてもらうことがあります。そこに相互供養の世界があります。また、過ちを犯した人であっても、その人の尊厳を失わずに接するところに相互禮拜の精神があります。

一言で言えば
相互供養 = お互いに支え合い生かし合うこと
相互禮拜 = お互いを尊い存在として敬い合うこと

どちらの言葉にも、「人は一人で生きているのではなく、ご縁によって支えられ、ともに生きる存在である」という仏教の智慧が感じられます。宗派は違いますが、親鸞聖人の説かれた「御同朋(おんどうぼう)」の精神にも通じるように思いました。私たちは師弟や上下の関係を超えて、ともに仏さまのお慈悲に生かされる仲間であるという教えです。

また、禅の修行僧である雲水(うんすい)が生活する部屋を見学させていただきました。そこには私たちの日常生活で当たり前のように目にする物はほとんどなく、修行に不要なものは一切置かれていませんでした。

雲水たちは、畳一枚ほどの自分専用の空間で寝起きをし、読経や坐禅に励みます。限られた空間の中で規則正しい生活を送りながら、自らの心と向き合う姿に深い感銘を受けました。

現代社会では、スマートフォンやインターネットによって常に多くの情報に囲まれています。便利な反面、安易な生活に流されて本当に大切なものが見えなくなっているのではないかと思いました。何もない空間で静かに過ごす雲水の暮らしは、とても貴重で新鮮なものに映りました。

法多山は、はっか飴や串団子などのスイーツも有名で、お土産に買って味わってみました。江戸時代から受け継がれてきた食べ物だけあって、どちらも素朴で飽きのこない深い味わいがあり、食べ終わってから、もう一口食べたくなるような魅力がありました。

バス旅行というのは、車窓から景色を眺めている時間が長いものですが、それは同時に、自分なりにさまざまな思いをめぐらせる時間でもあります。

今日も多くのことを学ばせていただき、大変有意義な旅行となりました。

帰りのバスの車窓からは、美しい富士山の姿が見えました。その麓にはのどかな田園風景が広がり、心が安らぐ思いでした。

この平和な日々がいつまでも続き、この美しい風景が子や孫の代まで変わることなく受け継がれていってほしい。そんな願いを抱きながら、帰路につきました。

この旅行を企画してお世話をしていただいた釋尊奉讃会のスタッフの方々に感謝いたします。ありがとうございました。合掌

● 参拝日:令和8年5月27日(水) 7時~18時15分

● 参加寺 45名(宮島バス 横浜市港南区笹下一丁目五番九号)

・宝珠院(富岡) 4名、慶珊寺(けいさんじ富岡) 3名、長生寺(ちょうしょうじ六浦) 1名、東光禅寺(釜利谷) 2名、薬王寺(やこうじ寺前) 6名、寶蔵院(ほうぞういん小柴) 5名、光傳寺(六浦) 1名、正法院(釜利谷) 5名、染王寺(ぜんのうじ野島) 3名、禅林寺(釜利谷) 5名、金蔵院(釜利谷) 2名、称名寺(金沢) 2名、持明院(富岡) 2名、龍華寺(りゅうげじ洲崎) 3名、泥牛庵(でいぎゅうあん瀬戸) 1名、(添乗員 1名、バスガイド 1名)

● 行程

・7:00 町屋神社ー能見台 IC—横横道路一東名道・新東名道—森掛川 IC

・11:00~13:00 曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

・13:30~14:20 高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

・18:15 新東名道—休憩—横横道路—町屋神社 

● 見学内容

1.曹洞宗 可睡斎(かすいさい)参拝と精進料理

1)可睡齋の由来

当齋の第十一世仙麟等膳大和尚は、幼い家康公を戦乱から救ったことがあり、後に家康公が浜松城主になった折、報恩のために城へ招かれましたが、なんとその席で居眠りを始めてしまいました。それを見た家康公は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、「和尚、睡る可し」(御前で眠っても無礼ではないとの意)と言い、「可睡和尚」と愛称されるようになりました。これにより寺号も東陽軒から可睡齋へと改められ、後に十万石の待遇と徳川幕府最初の僧録司という職も与えられました。

2)火防信仰千三百年の歴史と宗門六百年以上の伝

統を誇る東海屈指の名刹・可睡齋は、秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る祈祷道場として、また多くの雲水たちが修行する曹洞宗の専門僧堂「禅の寺」として知られています。

一方、春は牡丹・百合、秋は紅葉など四季折々の自然景観が楽しめる「花の寺」としても親しまれているほか、昨今健康食として注目されている精進料理がおいしい「味の寺」としての人気も高まっています。























2.高野山真言宗 法多山(ほったさん)尊永寺参拝 

1)法多山 略縁起

法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、 徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

2)厄除だんご

厄除だんごは、江戸時代、十三代将軍家定公の頃に幕府献上の土産に添えられ、将軍家より「くし団子」と御命名されたことにはじまります。以来一五〇年以上にわたり「厄除だんご」と称され、ご参詣の皆様に親しまれています。「厄除茶だんご」「厄除氷」などご縁日や四季折々限定のおだんごもございます。
































2026年5月31日日曜日

壽楽山 長生寺と大住職の小話(令和7年10月19日 長生寺 門徒総代 廣瀬隆夫)

 

1. 長生寺縁起

長生寺は、もとは真言宗のお寺で無量院と言い、釜利谷の小泉の谷戸にありましたが、康安元年(1361年)に六浦の荘、川村平分に移りました。

文明年間(1469年-1487年)に親鸞聖人の教えを伝えるために本願寺第8代門主、蓮如上人が関東遊化の折、野島から横須賀浦辺までの船中で、時の住職が上人に帰依し、六字の尊号染筆と法名、釈頓乗を賜わり、天文元年(1532年)、浄土真宗に改宗し当山開基となりました。寺号を長生寺と改め、寛永年間(1624年-1644年)に現在の六浦の荘、三分村に移築されました。

開基、頓乗から五代目の長生寺住職であった了磋の弟の桃渓は、延宝三年(1675年)に六浦で生まれ、幼いころ父に連れられて江戸に出て、本願寺第二世能化職(のうけしょく)であった知空上人に見出されて僧籍に入り、京都で修行しました。宗学、漢詩に優れた桃渓は宗門の逸材と呼ばれて、本願寺で「典講」という役職につき、大勢の修業僧の指導に功績をあげ、近江の正崇寺(しょうそうじ)住職も勤めていました。

師の知空上人が往生してからは、その後をうけて、本願寺第三世能化職として衆望をあつめました。後に自分の生まれ故郷、六浦の長生寺の中興にも力を尽くしました。(門前の長生寺沿革碑参照)

昭和初期、当山20世住職が近隣の子弟を集め六浦保育園を開き、太平洋戦争の折は裏山の壕を利用して「もぐら保育園」として知られました。昭和41年には六浦三艘、小泉庫三氏のご寄進をもとにして本堂を増改築しました。また昭和48年に長生寺寿楽会館を建て、昭和58年には念願の新本堂を建立しました。平成6年に六浦保育園を廃園しましたが、跡地に多目的ホール、新寿楽会館を建設して現在に至っています。


※ 能化職とは、浄土真宗において、僧侶や門徒を教育・指導する学問的な最高指導者(師範・学頭)を指します。今では、大学の学長のような地位です。歴代の能化職は、初世能化(西吟 )、第二世能化(知空)、第三世能化(若霖 )、第四世能化(法霖)、第五世能化(義教)、第六世能化(功存)、第七世能化(智洞)の7人だけです。その中で第三世能化(若霖 )が長生寺の中興の祖の桃渓和尚です。

※ 典講とは、江戸時代、西本願寺の最高学府であった学寮(のちの勧学寮)において、学頭である「能化」の下で学僧たちの教育や指導を実務的に司った役職です。

※ 中世の六浦は、六浦湊と呼ばれた良港があり、たいへん栄えていました。当時は、電車も自動車もありませんから、陸路での移動手段は、徒歩か馬、籠などでした。日本は島国ですから周りは海で川もたくさん流れています。水を利用した舟は当時の最先端の乗り物でした。松尾芭蕉も、深川六間堀(現在の東京都江東区新大橋あたり)から舟で奥の細道に向かいました。旅立つときに、こんな句を残しています。

   草の戸も 住替る代ぞ(すみかわるよぞ) 雛の家
   行く春や 鳥啼き魚の(とりなきうおの) 目は泪

六浦湊には、日蓮上人なども千葉から海を渡って鎌倉に行く途中に六浦に立ち寄った時の安立寺の船中問答などの話が残っています。蓮如上人も船上の人でした。舟はゆっくり進み、舟の中では時間が十分にありますから、浄土真宗の教えをじっくり長生寺の頓乗和尚に話したのではないかと思います。その時、親鸞聖人のみ教えと出会った和尚の驚きと喜びは言葉では言い表せないほど、素晴らしいものだったと思います。



2. 浄土真宗の救いのよろこび

※ この短い文章の中に浄土真宗の教えが余すところなく述べられています。

阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名(な)となり
たえず私によびかけます

このよび声を聞きひらき
如来の救いにまかすとき
永遠(とわ)に消えない灯火(ともしび)が
私の心にともります

如来の大悲に生かされて
御恩報謝(ごおんほうしゃ)のよろこびに
南無阿弥陀仏を称えつつ
真実(まこと)の道を歩みます

この世の縁の尽きるとき
如来の浄土に生まれては
さとりの智慧(ちえ)をいただいて
あらゆるいのちを救います

宗祖親鸞聖人が
如来の真実(まこと)を示された
浄土真宗のみ教えを
共によろこび広めます

3. 大住職の小話

※ 長生寺の大住職の六浦文英師が難しい法話の合間に、場を和ませるために話されたユーモア溢れるお話の一部をまとめました




【第1話】平成15

住職、私も、そろそろ、お墓を持ちたいのですが、お世話していただけないでしょうか。

「あなたも、そんな年齢になられたか。お墓のない人生は、ハカナイ(墓ない)。でも、あんまり急いじゃいけないよ。ボチボチ(墓地、墓地)やりなさい。」


【第2話】平成15

住職、最近よく咳が出るんです。どうしたら良いのでしょうか?
5分くらいガマンすれば、すぐ止まりますよ。

「関の五本松、ゴホン、五分待つ、なんちゃってね。」

 

【第3話】平成17122

爪先で歩くときは、奥さんの後ろから歩かなければいけないよ。

「爪先、つまさき、妻先、なんちゃってね」

逆に踵(かかと)で歩くときは、一緒に歩いても良いんだ。

「かかと、かかぁと・・・かかぁと一緒なんてね。」

【第4話】平成1726

2月に入りまして、枯れ木かと思っていた梅の木に花がちらほら咲き始めましたよ。この前も、犬が地面を掘っているんで、何を掘っているのかと、尻尾を持って引っ張ったんです。すると犬が言ったんですね。

「放さんかじじい、はなさかじじい、花咲か爺い」

【第5話】平成1726

最近は、山梨などでも、西洋の梨のラ・フランスなどを作っているようですが、昔は、閑な人が作っていたんですよ。

「ようなし、洋梨、用無し、なんてね」

【第6話】平成1726

そこに上がっているザボンは檀家の人が持ってきてくれたんですが、熊本が名産だそうですね。

熊本は海が近いんでうまく取らないと、コロコロと転がって「ザボーン」と落ちるんだそうです。

【第7話】平成17320

お寺に外人さんが、お参りにみえたんです。

「オケハ、ココニカエセバイイノデスカ?」

「オーケー(桶)なんてね」

「たくさん置いてあって置け(桶)ないって、そんなこと言うんだったら、雨が降っても貸さ(傘)ないよ」

【第8話】平成17416

お墓には家紋を彫らなければいけませんよ。家紋がないお墓なんかに誰も来ませんよ。

家紋、かもん、カモン、come on、なんてね。

【第9話】平成1848

「住職、イナバウワーはどんなポーズをいうのでしょうか?」

「イナバ物置というのを、御存じか。100人乗っても壊れないというコマーシャルをやっていたな」

「社員が屋根に登っているやつですね」

「あれがうけて、イナバ物置の社長は大喜び。思わず両手をあげてのけぞったんじゃ。イナバワー、それがイナバウワーの始まりじゃ」

【第10話】平成1848

「荒川選手は、何でなかなか金が取れなかったのでしょうか」

「それは、初めはどうでも良いと思っていたんじゃ。どうでも、銅でも・・・なんてね」

【第11話】平成17年 彼岸

「昨晩は暑くて寝れませんでしたよ」

「そんな時は、こう唱えなさい。

寝たいや、ねったいや、熱帯夜、なんてね」

【第12話】平成17年 彼岸

「お参りに来られた方は、中日ファンが多い様ですな」

「私も、中日ファンです。良くわかりますね」

「今日は、お彼岸のお中日、なんちゃてね」

【第13話】平成17年 彼岸

「人は、誰でも最後は仏様になれるんです」

「私でも、なれるでしょうか?」

「大丈夫、ほっとけ、仏、なんてね」

【第14話】平成22年 お盆

ひき逃げ事件があって、警官が目撃者を捜していた。

「事件現場に近い、団子店のおやじは、絶対にひき逃げ犯人を知っている」

「おまわりさん、何で、そんなことが分かるのですか?」

「あの団子店の名物は、みたらし団子だ。みたらし~、見たらしい、犯人を見たらしい」

【第15話】平成22年 お盆

「和尚さん、仏像と銅像がケンカしていますよ」

「放っておきなさい。ケンカにはならんよ」

「ぶつぞう」「どうぞう」なんちゃって。

【第16話】平成22年 秋のお彼岸

今日は、夕方、雨が降るらしいんで濡れないようにしてくださいよ。

特に、前に座っている美女の方、ビジョビジョにならないように気を付けてくださいね。

【第17話】平成22年 秋のお彼岸

先日、敬老の日がありましたが、昔は、横浜市も色々なプレゼントをくれたんですが、

中田さんが市長になったあたりから、めっきり少なくなりました。

開けてみたら、中田、なかったー、プレゼントの中身が無かったーなんてね。

【第18話】平成23年 お盆

木こりが、山奥の湖に斧を落としました。

女神様が出て来て、尋ねました。

「これは、あなたが落とした斧ですか?」

「オーノー」

【第19話】平成23年 お盆

若者は、鶴を助けたお礼に反物を織ってもらいました。

若者が反物を織っている部屋を覗いたら、鶴は若者の財産を全部持って飛んで行った後でした。

助けた鳥は、鶴ではなく、鷺(詐欺)だったと、その時初めて気づきました。

【第20話】令和8年 3

正月に、となり村から坊さんが二人で年始の挨拶に来ましたよ。

なんで二人も来たんですかね?

和尚が、おしょうがツー、お正月 なんちゃってね。


4. 長生寺音頭(炭坑節替え歌) 作詞:長生寺住職 六浦弓丸師







※ この歌の中に浄土真宗の教えが書かれています。

① 今日はお寺の 盂蘭盆会(ヨイヨイ)

みんな仲良くナモアミダ

念仏の声も高らかに

ナモアミダブツ ナモアミダ(サノヨイヨイ)・・・南無阿弥陀仏の六字名号

 

② 私の一丁目一番地(ヨイヨイ)

はかないこの身に我が心

いかり腹立ちそねみにねたみ

わかっちゃいるけどやめられない(サノヨイヨイ)・・・凡夫(普通の平凡な人)の本性

 

③親という字は木の上に(ヨイヨイ)

立って見守る親心

ナモアミダブツをとなえれば

浄土は私の隣の間(サノヨイヨイ)・・・正定聚(しょうじょうじゅ)

 

④ 南無は私で信じます(ヨイヨイ)

阿弥陀は無量の智慧と慈悲

仏は私の親様で

六字名号とのうべし(サノヨイヨイ)・・・六字釈(南無阿弥陀仏)

 

⑤ 月が出たでた ナモアミダ(ヨイヨイ)

お寺の本堂の上に月が出た

あんまり声が高いので

さぞや親様うれしいかろ(サノヨイヨイ)

 

⑥ 死んであの世にいったなら(ヨイヨイ)

お盆に帰るの三日間

浄土に往生したならば

永遠の命ほとけさま(サノヨイヨイ)

 

⑦ お盆は歓喜会 仏法を(ヨイヨイ)

しっかり聴聞いたしましょう

信心歓喜の仏縁と

報恩感謝のナモアミダ(サノヨイヨイ)

 

⑧ 私がとなえるナモアミダ(ヨイヨイ)

私が聞くなれどナモアミダ

往生まかせのお呼び声

そのまま来いよの親の声(サノヨイヨイ)

 

⑨ 煩悩にまなこさへられて(ヨイヨイ)

摂取の光明みざれども

大悲ものうきことなくて

つねにわが身をてらすなり(サノヨイヨイ)・・・高僧和讃

 

⑩ 如来大悲の恩徳は(ヨイヨイ)

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし(サノヨイヨイ)・・・恩徳讃

 

⑪ ありがたいかな なあ才市(ヨイヨイ)

ありがたい時きゃありがたい

なーともないときゃどぎゃんする

どんぐりへんぐりナモアミダ(サノヨイヨイ)・・・妙好人 浅原才市

 

⑫ 一人いてしも 喜びなば(ヨイヨイ)

二人と思え 二人にして

喜ぶおりは三人なるぞ

その一人こそ親鸞なり(サノヨイヨイ)

 

⑬ ガンジス川の真砂より(ヨイヨイ)

あまたおわする仏たち

夜昼つねに守らすと

聞くになごめる我が心(サノヨイヨイ)

 

⑭ 十方微塵(じっぽうみじん)の世界の(ヨイヨイ)

念仏の衆生をみそなわし

摂取してすてざれば

阿弥陀と名付けたてまつる(サノヨイヨイ)・・・浄土和讃

 

⑮ ナモアミダブツで夜が明けて(ヨイヨイ)

ナモアミダブツで日が暮れる

念仏三昧ナモアミダ

報恩感謝のナモアミダ(サノヨイヨイ)

5. 長生寺門徒の歌(曲・高原列車は行く) 作詞:長生寺住職 六浦弓丸師


※ 親鸞聖人の尊像の横には、見事な北山台杉が静かに見下ろしています。その傍らには、樹齢四百年を超えるといわれる「日月星」というツバキがあります。ツバキといえば、花が首からぽとりと落ちることで知られていますが、この花は花びらが一枚一枚はらはらと散っていくのです。その姿はどこか神秘的で、長い歳月を生きてきた古木の風格と相まって、訪れる人の心を惹きつけます。

1. 長生寺の境内を 散策すれば

親鸞聖人 やさしい笑顔

明るい青空 台杉 つばき

あなたも わたしも ナモアミダ

ララララ ララララララ ラ ラ

みんなの歌声 ラララララ ひびく

 

2. 長生寺の本堂で 念仏すれば

親様にっこり ほほえみかける

明るい心に 自由な世界

あなたも わたしも ナモアミダ

ララララ ララララララ ラ ラ

長生寺に念仏 ラララララ ひびく



6. 長生寺 たしなみ法座 輪読会

※ 離月の第二土曜日のたしなみ法座(定例布教会)の中で、「親鸞の生涯」「蓮如の生涯」「釈尊の生涯」などの生涯シリーズの輪読会を実施しております。どなたでもお気軽にご参加ください。

■ 場所:長生寺 本堂

■ 実施日
・一月十日(土)  午後一時三十分
・三月十四日(土) 午後一時三十分
・五月九日(土)  午後一時三十分
・七月十一日(土) 午後一時三十分
・九月十二日(土) 午後一時三十分
・十一月十四日(土) 午後一時三十分