鎌倉組 第13期 連続研修会 第9回 長生寺(金沢区六浦)
● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この内容は、お話を聴きして得た私の個人的な感想を書いたものです。
● 2019年12月7日(土)13時~16時20分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(橋本さん)挨拶、長生寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(お墓・仏壇について 光明寺住職:北條祐英さん)
・班別話し合い(13時40分~14時40分)
・発表(14時40分~)
・全体協議会 まとめ 北條祐英さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時25分終了
● 次回 第10回 2月1日(土)来恩寺(茅ヶ崎)
■ お墓・仏壇についての感想とまとめ
最初にビデオの上映があった。墓じまいや仏壇の廃棄が進んでいるというお話。誰もお参りにこない無縁化したお墓が急速に増えて、仏壇が東南アジアのセレブの人たちに売られてインテリアとして使われている。お墓がないので、送骨と言って焼き場から骨壺を送って合葬墓で供養してもらうケースが増えているという話だった。時代の流れと言ったらそれまでだが、あまりにも寂しい光景であった。
そのあとに、北條さんからビデオの内容に沿った問題提起があり、グループに分かれて話し合いとなった。
それぞれの自分の家の墓について話した。屋敷の中に墓がある家や将来は市営墓地に入る予定という人もいた。仏壇には、ご飯や水を欠かさないという人が多かった。
仏壇というのは、極楽浄土のショールームのようなものだそうだ。浄土真宗の教えは、死んだらすぐに浄土に行けるということになっている。浄土は、この世のしがらみから解き放された華やかな素晴らしい場所だとされている。それを再現したのが仏壇だ。金箔を施した立派なものが多いのはそのためだ。仏壇には、故人の遺影や他宗派の仏像を置かない。特定の偶像崇拝を禁じているためである。中央に阿弥陀様、右に親鸞聖人、左に蓮如聖人の軸をかけるのが一般的だ。位牌でなく、過去帳をおく。そもそも、位牌は、神道から来たもので仏教のしきたりにはない。また、位牌を次々に作っていたら仏壇は、位牌で埋め尽くされてしまうからだ。
線香は立てずに二つに折って寝かせる。今のように線香を立てるようになったのは、江戸時代以降で比較的新しい。密教が入ってきて座禅の時に時間をはかるためという説がある。線香がない時代は、香木の切り屑を灰にきった溝に撒いて火をつけるというものだったらしい。線香が倒れて火事になるということを防ぐという意味もあるように思う。戒名とは言わずに法名という。戒律を守ったものに付けられる戒名は南無阿弥陀仏の他力を旨とする浄土真宗にはそぐわない。だから法名と呼ぶ。仏壇にはご飯以外の食べ物は置かない。お供えしたご飯は後でいただく。法事でも陰膳というものはやらない。
お墓は、先祖がそこに住んでいるところではない。だから何々家の墓とは彫らない。南無阿弥陀仏と彫る。その下に何々家と彫る。梵字も入れない。五輪塔なども置かない。卒塔婆も立てないから浄土真宗のお墓はスッキリしている。浄土真宗には、故人が成仏するように祈る追善供養という考え方がない。その時にあげるのが卒塔婆である。故人は亡くなった瞬間に極楽浄土に行っているのでそのようなものは意味がない。お墓ができても魂入れなどはない。そもそも、霊や魂という存在を認めていない。建碑法要を行う。お墓ができたことを阿弥陀様に報告するという意味である。そのときに、塩や酒、お米などは使わない。本来、墓や死者が不浄のものという考え方がない。だから、葬儀でも清め塩を使わない。守り刀なども必要ない。
覚如上人が著した改邪鈔という書物の中に「今生での私の命が終えたなら、私の体は賀茂川の魚に与えてほしい」と親鸞聖人が言われたと書かれている。肉体にとらわれるのではなく、あくまでも大事なことは信心の獲得であるということである。あまり、お墓の形式にはこだわる必要はないのではないか。後継者がいない方のために最近は、合葬墓などもできている。管理人がいるお墓のマンションのようなものである。浄土真宗の墓参りというのは、亡くなられた方をご縁に自分の人生を振り返り、生きる意味を考える機会とするもの。だから、思い立ったら、いつ行っても良い。
最後に、浄土真宗のお墓参りの良い文章があったのでご紹介する。
【本願寺派の墓参作法(善福寺)】 http://www.zempukuji.or.jp/hakamairi
亡くなられました方は、どなたも阿弥陀如来のはたらきによりまして、浄土の世界へ往生されています。したがいまして、墓に住まわれているということはなく、墓はあくまでも私どもにとっての拠り所であり、学びの場でもあるのです。
墓へ参ることを通じて亡き方を偲び、その歩みをあらためて振り返ったり、その方との交流を思い起こすことにより、自らの「生死」を見つめる機会を得ることができます。そして、ともに浄土へ救われていく身であることを知らされ、感謝のうちに人生を過ごすことができるでしょう。
墓に参りましたら、まず、墓前で一礼し、できれば墓石や周囲を清潔にいたします。そして、花や供物を上げまして、最後に線香を上げるようにいたします。周囲に漂う花の香りや線香の香煙は、何ものにも遮られることのない、阿弥陀如来のはたらきを表現したものです。
こうした準備が終わりましたら、墓前に向かって合掌し、「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。阿弥陀如来を礼拝するとともに、亡き方を思い、心で通じあう時を得ていただきたいと思います。なお、亡き方は阿弥陀如来によって救われ、今、浄土の世界におられます。地獄等に落ちていることは決してありませんので、喉の渇きを癒すため墓石に水をかけることはいたしません。 お参りが済んだら、お供物は紙に包んで持ち帰りましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿