〜283回 2023(令和5)年度門徒推進員中央教修を受講して〜
● 記録:東京教区 鎌倉組 聚楽山 長生寺 門徒 廣瀬隆夫(文責)
※この内容は私の備忘録として個人的な感想を記録したものです。
● 期日:2023年12月1日(金)~12月4日(月)
● 受講:40名(7班に分班)
● 会場:聞法(もんぽう)会館(京都市下京区 西本願寺境内)
● 主催:浄土真宗本願寺派 門信徒教化部
連研は通常は2年で終了ですが、鎌倉組第13期連続研修会は2018年10月の第1回研修から2022年11月の第11回研修まで、コロナの影響で卒業まで4年かかりました。その集大成として西本願寺に上り中央教修を受けました。東京教区からは私一人でしたが、北海道から九州まで、浄土真宗本願寺派の40人のご門徒が集まりました。12月1日から4日間、西本願寺で朝の6時の読経から始まり、夜の9時まで毎日研修が行われました。
法座は、全部で5つあり、4日間かけてこなしていくものでした。最初に講師の僧侶がお話をして、その後、班別に分かれて話し合いを行って、話し合った結果を全員の前で発表し、最後に講師がまとめのお話をされるという手順でした。研修中のお酒や外出は一切禁止、スマホやパソコンなどの電子機器も禁止という厳しい研修でしたが、班の仲間たちと共に生涯忘れることができない素晴らしい体験をすることができました。何もわからない私たちをお導きいただいた講師のみなさま、準備をしていただいたスタッフのみなさまに深く感謝いたします。
一日目:
・開会式、記念撮影
・オリエンテーション、班別話し合い
・法座1「であい」
あうと言ってもいろいろあります。人と会う、物ごとが合致する合う、待ち合わせ場所で恋人に逢う、強盗に遭う、たまたま遇う、など様々なあうがあります。偶然に遇うことで人生が変わってしまうこともあります。人と人が絡み合いながら人生が形作られていくのです。親鸞聖人も法然上人との出会いがなかったら、浄土真宗もなく、このような中央教修でみなさんにお会いすることもありませんでした。ご縁というのは誠に不思議なものだと思いました。
開会式のあいさつを思い出しました。人という字は、人と人が支え合う字。人間になると人と人とのあいだに間ができる。間を作らずにつながることが大事というお話でした。ご先祖を洗い出すと、12代も遡れば、4000人以上のご先祖が並ぶことになります。そもそも、人も単細胞生物から進化しているのですから、すべての生き物は、どこかでつながっているのです。みんな遇うべくして逢っていると考えられます。
<顕浄土真実教行証文類 序 注釈版聖典P132>
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」
・「御同朋(おんどうぼう)の社会をめざす運動」「実践運動」「念仏者の生き方」新しい「領解文(りょうげもん)」
「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)とは、あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的として、2012(平成24)年度より宗門全体で推進されている運動です。
しかし、被差別部落にある寺院や僧侶を蔑称で差別していた、法名も被差別部落出身であることがわかるような名前を付けていた、という事実があったそうです。また、明治以降、何度かの戦争がありましたが国の方針とは言え、戦争協力をした事実もあったということを知りました。実践運動は、その反省に立った運動であることを知り、この運動の大切さを痛感しました。
・お有事(おつとめ)
すべての話し合いが終わり夕食の後に、聞法会館で正信偈を唱えました。
二日目:
・本山晨朝(じんじょう)6時、帰敬(ききょう)式(おかみそり)
6時に阿弥陀堂で讃佛偈を唱えました。
その後に帰敬式が厳かに行われました。帰敬式は、この教修の一回目のハイライトでした。ご門主の代役の御導師が御入道されたあと、全員で三帰依文を唱えました。
南無帰依仏(なもきえぶつ)
南無帰依法(なもきえほう)
南無帰依僧(なもきえそう)
次に受式者名が読み上げられ、「お剃刀(かみそり)をいただきます」というお言葉に続き儀式が行われました。お剃刀とは、髪の毛を剃るのを模した作法をする儀式です。僧侶になるときは、実際に剃刀で頭を丸めるそうです。
その後に、法名拝受ということで代表者が法名を受け取りました。今回は私が拝受の代表者でした。
次に、別の代表者が下の帰敬文を拝読しました。
「ただいま仏祖の御前で帰敬式を受け浄土真宗の門徒としての自覚を新たにいたしました。宗祖親鸞聖人のお流れをくみ阿弥陀如来のご本願に救われることは何ものにも代えがたい喜びであります。この上は、ますます聞法にいそしみ真宗念佛者の本文をつくし報恩謝徳に努めます」
これで帰敬式が終了しました。
・法座2「私の宗教」
① 近所付き合いや地域の活動で窮屈な思いをしたことがあるか、② 逆に人に窮屈なことを強いてしまったことはあるか、③ どうしたら窮屈でなく個人を尊重できる生き方があるかという問いかけがありました。
①については、自治会活動などで、声の大きい人の意見に引きずられる、地域の仏教会の会合で、ほとんどが真言宗の中で浄土真宗が1カ寺ということで疎外感を感じた、などの話がありました。②については、子どもから就職の相談をされた時に自分の考えを押し付けてしまった、草刈りを暗に強制してしまったなどのお話がありました。
③については、何を大切にするか、どんな社会が好ましいかを念頭に置いて議論を進め、自分の意見だけを押し通すのでなく、他人の意見を尊重して目的に向かった話し合いをすすめるという意見がありました。
<顕浄土真実教行証文類 化身土文類六(末)後序 注釈版聖典P473>
慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹(た)て、念いを難思の法海に流す。
・法座3「浄土〜救いと歩み〜」
お浄土をどのように人に伝えるかというお話がありました。浄土はあるのか、天国とどのように違うのか、三途の川を渡って浄土に行くのかなどの様々な意見がでました。浄土は、死後の世界でなく、現世でも存在すると思いました。
浄土というものは、中国の桃源郷のように、ある意味理想郷です。私は差別や偏見のない平和な世界、光が満ち溢れたすばらしい世界とイメージしました。死んだら何もなくなると考えても、光り輝く浄土があると考えても全く個人の自由です。でも今をよりよく生きていくために、後者の考えを信じて生活していった方が幸せではないかと思いました。
<仏説無量寿経 巻上 正宗分 阿弥果徳 華光出仏 注釈版聖典P40>
一々の宝華に百千億の葉(はなびら)あり。その華の光明に無量種の色あり。青色に青光、白色の白光あり。玄、黄、朱、紫の光色もまたしかなり。
<一念多念証文 注釈版聖典P691>
「遇」はまうあうといふ、まうあふと申すは本願力を信ずるなり。
・門徒推進員という生き方
第245回、257回の中央教修を修了された先輩の門徒推進員の方からのお話がありました。世代間交流を行って、門徒推進員の活動を次の世代へ引き継いでいく必要があることを思いました。どのようにしたら引き継いでいくことができるか、それを考えることが門徒推進員の役割だと思いました。
・思い思いに語ろう(法名授与)
朝の帰敬式で授与された法名を、一人ひとりいただきました。
・お有事(おつとめ)
三日目:
・本山晨朝(じんじょう)6時
阿弥陀堂で讃佛偈を唱えました。
・法座4「差別〜御同朋の社会とは〜」
差別については、アイヌ、広島原爆、同和問題、女性差別、特定の宗教団体の差別などの様々な意見が出ました。最近は、LINEグループ外しなどのネット上の差別もあるということでした。無知が原因のことが多く、相手のことを理解しないまま、風評などを信じて差別をしてしまうことが多いというお話がありました。
他国人だから被差別部落出身だから悪い人たちだと「十把一絡げ」にして決めつけてしまう、みんなが虐めているから自分もやってみるなど、正しい認識をしないで、まわりの空気を読んでイジメや差別をやってしまうことが多いのです。
勝手な想像で行動を決定しない、名前や外観だけで判断しない、真実を知るということが重要であることが理解できました。相手の話を聞いて、良く理解して自分で考えて行動することが重要です。
「差別はなくなりますか?」という質問に対して、「しんどい思いをしている人を前になくならないとは言えない。差別をなくしていく活動を続けていかなければならない」というお話は琴線に触れました。
互いの違いを知り、深く理解し認め合うことで、世界はより良くなる。そのことを諦めないで南無阿弥陀仏を唱え続けるということが念仏者の生き方ではないかと思いました。
人を思いやる心があれば、差別やイジメが減るのではないかという話題が出て、班の中の人から仏教の「三尺三寸箸」のお話が紹介されました。
◆ ◆ ◆ 「三尺三寸箸」のお話 ◆ ◆ ◆
地獄でも極楽でも長さが1メートル(三尺三寸)ほどの長い箸を使って大きな釜を囲んでうどんを食べている。地獄に住んでいる人はみな、自分のことだけ考えてわれ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んで、うどんをつかもうとするが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べない。しまいには他人がつかんだ、うどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることができない。
それに対して極楽では、同じうどんを前にして、まったく違う光景が繰り広げられている。だれもが自分の長い箸で、うどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しに、うどんを取ってあげる。だから極楽では全員がおだやかに、うどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。
同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心を持てるかどうかで、そこが極楽にも地獄にもなる。
◆ ◆ ◆
・示談(じだん)
スタッフの僧侶の方に、対面で疑問をぶつけてお話をお聞きするという時間でした。私は、浄土について、老子、莊子などの東洋思想と浄土真宗の関係、阿弥陀様とお釈迦様などについてお聴きしました。阿弥陀様は、実在の人物ではありませんが、お釈迦様の御教えを象徴するものと理解しました。
ここで浮かんだ疑問を法座の後に担当スタッフに尋ねたところ、お浄土は建物や場所として存在するのでなく、季節のように感じるものというお話がありました。春夏秋冬の季節がありますが、季節を人に伝えることは難しいです。それぞれの人が春を感じ、秋を感じるのです。葉の色づき、落ち葉や秋月で秋を感じる人もいれば、柿や栗などの食べ物で秋を感じる人もいるように、浄土も人によって感じ方が異なるのです。それを言葉で説明するのは難しいと思いました。
また、お寺のおそなえを、食に困っている子どもたちに、おすそわけする「おてらおやつクラブ」の活動も紹介していただきました。
・仏教讃歌
恩徳讃などの仏教讃歌をみんなで歌いました。
・決意表明式練習
・決意表明式についての説明
・決意表明式
決意表明とは、門徒推進員として、何をやるかの決意を阿弥陀如来の尊前で述べる儀式です。1行程度の決意文を読み上げて、いただいた法名を唱えるというものですが紙を見ることが出来ないので暗記する必要があります。一礼して、焼香して、南無阿弥陀仏を唱えて、決意文を読み、一礼して戻るという作法が定められていました。
そのため何度も練習が必要でした。自分の部屋に戻っても鏡の前で何度も繰り返しました。本番は安穏殿で蝋燭だけの光の中、阿弥陀さまの前で、厳粛な雰囲気で行われました。教修生40名とスタッフの僧侶の前で決意表明を読み上げました。自分の順番が回ってきたときは、緊張のピークに達しました。今回の中央教修で最も緊張して感動した場面でした。
【私の決意表明】
保護司として更生保護を通して親鸞聖人の御教えを広めることを誓います。釋覚隆(しゃくかくりゅう)
・茶話会
決意表明式が終わって緊張がほぐれた後は、お茶を飲みながら話をする茶話会が行われました。ほっと一息つけた時間でした。
四日目:
・晨朝参拝6時
・お斎(おとき)
お斎は、動物の食材は一切用いず、一汁五菜を基本としたものだそうです。いのちをいただいているのだから残さず大切に食べましょうという願いのもと、食べられるだけ漆塗りの器に盛ります。この器は漆を何度も塗り直して長い間使われているそうです。残さずにおいしくいただきました。お腹の調子を崩していましたので整えていただきました。
【食前のことば】いただきます
多くのいのちとみなさまのおかげによりこのごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
【食後のことば】ごちそうさまでした
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげでごちそうさまでした。
・法座5「念仏者という生き方」
法座1〜4までの総まとめとして念仏者としてどう生きるかということを話し合いました。法座のテーマは、どれもが明確な解決策はない、だからこそ念仏者として南無阿弥陀仏を唱え続ける必要があるというお話がありました。
私たちは、学校や資格の試験などで答えのある問題ばかり解いてきました。世の中のすべてのことに解答があるわけでないのです。コンピュータの01の世界と全く別の世界があり、ずっと科学技術の世界で生きてきた私にとっては目からウロコが落ちるお話でした。どんなに科学技術が発達しても解けない問題がある。だからからこそ、人間が存在して生きる意味があると思いました。お念仏を唱えることは人間とは何か、いのちとは何かを問い続けることであると気づきました。
南無阿弥陀仏が自然に出てこないとお聴きしましたら、温泉に入って「ごくらく、ごくらく」と思わず口に出ることがあるが、それと同じだよと言われました。お念仏というものが、少し分かったような気持ちになりました。
・全体会
ホールに集まって今回の中央教修の感想を語り合いました。4日間の学びの数々、スタッフの僧侶の方への感謝の気持ち、決意表明の失敗談など様々な話題が飛び交い楽しいひとときでした。
中央教修に来る前に、正信偈の解説や歎異抄などを読んできましたが知識だけでなく、毎日のお勤めを通して親鸞聖人の御教えを身体全体で味わうことできるようにならないとダメだなと思いました。
・懇親会
最後に、昼食を兼ねた懇親会が行われました。このとき、ようやくビールを飲むことができました。うまかったですね。4日間、苦楽を共にした班のメンバーは同級生のような関係になり、LINE交換なども行われました。緊張と学びの連続でしたが、過ぎてしまうとあっという間の4日間でした。別れを惜しみながら新幹線に乗ってそれぞれのお寺に帰っていきました。
※ その他にも様々なことを教えていただきました。
・基本的な作法
・門徒式章などは、トイレに持ち込まない
・阿弥陀様が安置された部屋を出入りする時は一礼する
・聖典は地面に直接置かない
・その他のお言葉
・決意表明をされた貴方たちは今日が門徒推進員としての誕生日
・門松に常緑樹の松を飾る意味
・人生の居場所を作ることの大切さ
・「門徒もの知らず」は気付きの入り口
今回の中央教修で感じたことは、誰一人としていい加減な考えをしている人がいなかったということです。教修を受ける人も、スタッフの方も全員真剣そのものでした。この4日間で何をやったかというと、住み良い社会を実現するにはどうしたら良いか、毎日を気持ちよく生きていくには、周りを明るくしていくには、嫌な気持ちをなくして歩んでいくにはどうしたら良いかを考えるということでした。
生きていけば色々なことがあります。大雨の日も暴風の日もあります。そんな日でも歩いて前に進んでいかなければならないのです。そのとき何を考えて、何を灯明にして歩いていくのか。どんなに小さな光でも、光があるかないかでは大違いです。今回の4日間の教修で遥か先に小さな光が見えたような気がしました。
親鸞聖人は、90年という歳月をかけて、私たちのために、そのことをずっと考えておられました。たった4日間ですが、この4日間が私にとって、この上なく大切な4日間になりました。スタッフのみなさん、一緒に教修を受けていただいたみなさん、本当にありがとうございました。
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