▶鎌倉組仏教壮年会連盟講演会「親鸞聖人一代記(落語)」の報告
「親鸞聖人一代記」と題した落語をお聴きしました。90分にわたる長時間のお話でしたが、親鸞聖人の半生について分かりやすく、詳しく解説していただきました。
落語をお聴きして、改めてプロの落語家の話術の素晴らしさを実感しました。まず、まくらで面白い話をして聴衆の心をつかみます。そして、少し集中力が途切れそうな頃合いになると、演題とは直接関係のない時事問題や身近な話題を巧みに織り交ぜ、聴衆を飽きさせません。その絶妙な話の運びによって、90分という長時間にもかかわらず、最後まで興味深く聴講することができました。
落語は通常30分から60分程度と聞きますので、90分という長丁場は師匠にとっても大変だったのではないかと思います。それでも終始軽妙な語り口で会場を引き込み、さすがはプロだと感心しました。
今回の落語では、親鸞聖人が生きた時代背景についても詳しく説明していただきました。今から約850年前の日本は、貴族から武士へと権力構造が移り変わり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。まさに鴨長明が『方丈記』で描いたような時代です。
落語の中では、京都の鴨川に多くの人々の遺体が流れ、川をせき止めるほどだったという話も紹介され、その悲惨さに衝撃を受けました。そのような激動の時代の中で、親鸞聖人は人々の苦しみに寄り添い、新しい仏教の道を示した人物であったことを改めて感じました。
参加者からは、「親鸞聖人の生涯について断片的な知識はあったが、今回の落語を聴いて点と点がつながり、全体像を理解することができた」という感想も寄せられました。今回は親鸞聖人が越後へ流罪となる場面までのお話でしたが、「ぜひ後半も聴いてみたい」という声も多く聞かれました。ぜひ、続きの講演会を企画したいと思います。また、役員の中から閉会式に恩徳讃(おんどくさん)を歌ったらどうかというご意見がありました。
親鸞聖人の生涯や教えを身近に感じることのできる、大変有意義な講演会となりました。(長生寺門徒 廣瀬)
・演題: 落語「親鸞聖人一代記」
・演者:三遊亭右左喜(さんゆうてい うさぎ) 師匠
・期日:令和 8 年 7 月 5 日(日曜日)
・場所:聚楽山 長生寺 寿楽会館(横浜市金沢区六浦2-8-2)
・共催:鎌倉組仏教壮年会連盟、鎌倉組総代世話人研修会
・参加:61名
・スケジュール
13:30 開場・受付
13:45 開会式(司会:田中理事長)
・開会挨拶:来恩寺 橋本住職
・真宗宗歌唱和:全員
14:00 落語:三遊亭右左喜 師匠
14:45~15:00 休憩
15:45 閉会式
・閉会挨拶:長生寺 六浦住職
16:00 終了
【親鸞聖人の関連書籍の紹介】
・親鸞の生涯 豊原大成著 法蔵館 2002年
・大きな字の歎異抄 本願寺出版社 2018年
・仏事のイロハ 本願寺出版社 2009年
【お知らせ】
・NHK100分de名著「教行信証」
・放送:7/6、7/13、7/20、7/27 10:25~50
https://mag.nhk-book.co.jp/article/92560
【落語要約】
親鸞聖人は1173年、京都の公家の家に生まれました。しかし、幼くして両親を亡くし、9歳で出家して比叡山に入りました。以来20年にわたり厳しい修行に励みましたが、「どれほど修行を重ねても、自分の煩悩を断ち切ることができない」という深い悩みを抱くようになりました。
そこで比叡山を下り、京都の六角堂に百日間参籠して救いの道を求めました。その中で法然上人の念仏の教えに出会い、大きな感銘を受けます。法然上人は、難しい修行や身分の違い、男女の別に関係なく、ただ阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われると説きました。親鸞聖人はこの教えに深く帰依し、生涯の師と仰ぎました。
日本では貴族から武士へと権力構造が移り変わりつつあり、各地で戦乱が相次いでいました。それに加えて、大地震や疫病の流行、飢饉なども続き、人々は不安と苦しみの中で暮らしていました。京の都でも、多くの人々が生きるか死ぬかの厳しい状況に置かれていたといわれます。このような激動の時代の中で、法然上人の念仏の教えは、農民や武士をはじめ多くの人々の心をとらえ、急速に広まっていきました。
しかし、その教えは当時の仏教界に大きな衝撃を与えることにもなりました。身分や性別を問わず、阿弥陀仏を信じて念仏を称えることで救われるという教えは、厳しい修行を重んじる既存の仏教勢力から激しい反発を受けたのです。
その結果、1207年に念仏弾圧が行われ、法然上人は土佐国(現在の高知県)へ、親鸞聖人は35歳で越後国(現在の新潟県)へ流罪となりました。
しかし、この苦難こそが親鸞聖人の教えを深める大きな転機となりました。流罪の地で多くの庶民と共に暮らし、人々の苦しみや悲しみに寄り添う中で、「どのような人も見捨てられることなく救われる」という信念をさらに強くしていったのです。
