2019年8月25日日曜日

2019年度長生寺ライヴコンサート報告

長生寺 壮年会 廣瀬隆夫

■ 日時 2019年8月24日 (土) 14時〜16時
■ 場所 長生寺 聚楽会館
http://choushouji.jp/
■ 演奏 ハワイアンバンド「パームアイランダース」、フラダンス「アオラニ・フラスタジオ」、長生寺和太鼓クラブ
http://hirose.my.coocan.jp/palm/
https://www.aolani-hula-studio.com/

【2005年の長生寺ハワイアンコンサート】
http://hirose.my.coocan.jp/palm/text/no3/concert170129.html

第一部 和太鼓の演奏(長生寺和太鼓クラブ)
第二部 ハワイアンとフラダンスの宴(パームアイランダース、アオラニ・フラスタジオ)
■ 曲目
・カイマナヒラ
・アオイア
・ビヨンザリーフ
・ヘウイ
・南国の夜
・プアリリレフア
・みんなで歌おう(ボケない小唄、恩徳讃、真宗宗歌)
【ボケます小唄 VS ボケない小唄】
http://hirose.my.coocan.jp/palm/text/bokenai.html
・みんなで踊ろう(月の夜は)
・ケアロハ
・赤いレイ
・Show me how to do the HULA
・幸せはここに

■ 参加人数 約100名

■ 長生寺壮年会会長のご挨拶
本日は、ご来場、ありがとうございました。この長生寺ライヴコンサートは、今回が初めてです。昨年までは、長生寺サマーキッズフェスタと銘打って、金魚すくいやヨーヨー、綿菓子などの屋台を出店して、子どもたちに楽しんでいただいておりましたが、壮年会のメンバーも高齢化が進み、体力的にも厳しい局面に立たされました。

そこで新企画としてライヴコンサートを実施する運びとなりました。今回は、ハワイアンコンサートということで、どうぞ最後までお楽しみください。

それから、境内に住職が育てたメダカを置いてありますので、よろしければ、お帰りの際にお持ちください。(黒川孝一さん)

(パームアイランダースについて)
パームアイランダースは、1997(平成9)年に慶応大学でクラブ活動をしておられた皆様が、定年退職された後に、再結成されたハワイアンバンドです。パームは、椰子の実、バンド名のパームアイランダースは、椰子の実が茂る島をイメージされています。コンセプトは、生きがい、友情、感動、そして、感謝、この言葉はハワイの挨拶のアロハに込められているそうです。

現在、地域の高齢者施設や病院、教会などで演奏活動を行っており、ボランティアで年間、数十回の演奏をこなされています。先週も、朝比奈の西金沢地域ケアプラザで演奏会を行ったとお聞きしています。

長生寺とパームアイランダースの関係を申し上げますと、私ごとで僭越ですが、ギターの星野さんが、私の会社の元・上司ということで、ハワイで修行され、ハワイアンが大好きな住職の六浦さんにご紹介したのがきっかけです。

星野さんには、公私ともにたいへんにお世話になっておりますが、今回、また、こういう形でご縁をいただいたことに深く感謝しております。実は、パームアイランダースは、今回が初めてでなく、ご記憶の方もおられるかと思いますが、14年前の2005年に長生寺で演奏をしていただいております。
さらに磨きのかかった楽しい演奏をお聴きできると期待しております。(廣瀬)

■ 参加者の声
・ハワイアンや和太鼓はもちろんですが、最後に会場にいた人全員で輪になり手を繋いで・・・楽しかったです。知りあいも沢山いました。ありがとうございました。

・久しぶりのハワイアンを聴かせて頂けて、とても気持ちが和みました。良かったです。フラダンスの方とても上手で良いものを見せて頂けました。偶然にもフラダンスをしている友達と久しぶりに会いました。此のような企画また楽しみにしております。有難うございました。

・昨日は楽しかったです。お声かけていただき、ありがとうございました。

・昨日は素敵なハワイアンコンサートを聴く機会をくださりありがとうございました。この時期にぴったりの催しで、また、長生寺さんの美しいホールで聴き、良き、”非日常”を味わうことができました。企画される側としてのご苦労が多々おありだったと思います。その点も含めて感謝しております。今後ともよろしくお願い致します。

・勇壮な和太鼓と癒やされるハワイアンの組み合わせが良かったです。演奏する人と観客が一体となってみんなで楽しむことができました。ありがとうございました。

(感話)
”お寺で、何でハワイアン?”という驚きの声がありました。この前の研修会で、幸せとは本来は”仕合せ”と書くとお聞きしました。巡り会えて良かった、というのが本来の幸せの意味だそうです。今回のハワイアンコンサートの参加者の声を読ませていただきますと、ここで新しい出会いがあったというお話が、いくつかありました。

私もハワイアンバンドの星野さんと30年前に出会わなかったら今のような人生があったか分かりませんし、このようなハワイアンコンサートもなかった訳ですから、この出会い、ご縁というものは、非常に大切なものだと思っています。

親鸞聖人も法然上人との出会いを人生最大の幸せとしています。そのような意味で、今回、お寺でのハワイアンコンサートで多くの出会いがあり、多くの人が仲良くハワイアンを楽しむことができたことは、大変喜ばしいことだと思いました。まさに、生きがい、友情、感動、そして、感謝、アロハの心です。演奏されたみなさん、参加されたみなさん、ありがとうございました。この日は、息子がニュージーランドから帰国する日とぶつかってしまい、コンサートを中断して成田まで迎えに行くことになってしまいました。最後までお聴きできず残念でした。次回は、フルでお聴きしたいと思います。(廣瀬)















2019年8月19日月曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第2回

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第2回

2019年 8月18日(日)15時〜17時 長生寺 寿楽会館2F
17時〜19時 暑気払い

黒川さん(長生寺)、下田さん(上正寺)、高橋さん(光明寺)、松井さん(来恩寺)、田中さん(西恩寺)、廣瀬

◾️ 総会の会計報告(松井さん)
・残金 27,943円

◾️ ボウリング大会の状況(下田さん)
・ボウリング場の予約完了
・宴会場、商工会議所の予約完了

◾️総会の結果について
・仏壮を活性化させるという課題は、早急に対策を練らなければならない。
・名前だけ出して、連絡先を公開しない寺がある。
・等さん、青木さんの後任を顧問を通して住職にお願いする。
・全員、理事という肩書きには違和感がある。実行委員や活動委員で良いのではないのか。
・仏壮の活動の広報を行い、ここの入れば楽しいという状況にしたい。
・暑気払いや忘年会に呼んだらどうか。

ー今年度直近の予定
・10月6日(日)15時〜 例会
・12月15日(日)15時〜 例会 忘年会(芋煮会)

2019年8月8日木曜日

鎌倉組 第13期 連続研修会 第7回 善福寺(大磯)

鎌倉組 第13期 連続研修会 第7回 善福寺(大磯)
● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この文章は、私の個人的な感想で正確な記述ではありません。
● 2019年8月3日(土)13時〜16時15分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(北條さん)挨拶、善福寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(苦・しあわせについて 武蔵野大学准教授:前田壽雄(ひさお)さん)
・班別話し合い(13時50分~14時50分)
・発表(15時~)
・全体協議会 まとめ 前田壽雄さん
・閉会式(感話(等さん)、恩徳讃、閉会の言葉)16時15分終了
● 次回 第8回 10月5日(土)上正寺(茅ヶ崎 小和田)

■ 感想
前回の箱根研修の続きで、大磯に行った。お寺は、平塚と大磯のちょうど真ん中にあり、どちらから行っても同じ距離。JR平塚駅の北口は大きなバスのりばになっていて目的のバス停を探すのにひと苦労した。偶然、研修生数人に会えたので、珍しく迷うことなくお寺に行くことができた。

川の近くの立派なお寺で、庭に大きな穴が空いている築山のようなものがあるので不思議に思ってお寺の縁起では、縄文時代の横穴式古墳の遺跡ということだった。最初は善福寺住職のお話。親鸞聖人は、越後(新潟)に流され、その後、常陸(茨木)で教行信証を執筆されるのですが、その後に相模(国府津)に布教された際に、聖人の教化を受けた平塚入道(了源)が開祖となるお寺というご説明があった。了源さんは、俗名を曽我十郎祐成の子どもの祐若と言い、曽我十郎祐成は、仇討ちで有名な曽我兄弟の兄。了源さんの坐像が残っており、親鸞聖人の坐像とも言い伝えられている。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/jisya/zenpukuji.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/曾我兄弟の仇討ち

今回の演題は、「苦とは何か、しあわせとは何か」であった。前田さんは最初に言葉の定義をされた。苦とは不快や嫌なことでなく、思い通りにならないこと。しあわせとは、仕合わせ、すなわち、巡り合わせの妙ということであった。幸せという漢字は本来の意味ではないということであった。

中島みゆきの「糸」という歌がある。

・・・・
なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない。
(省略)
縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます。
・・・・

これが本来の”しあわせ”の意味である。

始めに研修生が3つのグループに分かれて話し合いをした。討論でなく、自分の考えを自由に述べて、思いを解き放す場である。

お客様からのクレーム対応で、マニュアル通りに納得してくれない場合に、苦を感じるという。逆に、話が自分の思い通りにうまく進んだ時には、しあわせを感じる。機械やコンピュータは、自分の思い通りになるので、うまく動いてくれている間は苦を感じない。それでも、ミスが起きるのは、ほとんどの原因は人間が作っている。人が介在しない限り苦は感じない。でも、全てがうまくいってしまうというのは、少しも面白くないし、しあわせも感じない。

草取りでは、自分の意思で勝手に草を刈ることができる。草は、文句を言わないのでストレスを感じない、それをしあわせに感じている人がいるという話があった。でも、それが、しあわせなのだろうかという意見が出た。モノでも植物でも、相手を思いやるという気持ちが必要ではないのか。

苦がなければ、しあわせもないというのがこの話し合いの一つの結論であった。

班別の話し合いが終わって、前田さんからの謎解きのようなお話があった。

そもそも、仏教は、人生は苦だ、というところから始まっている。何も不自由なく育ったブッダは、東西南北、城の4つの門の周りを歩いているうちに、自分ではコントロール不能な4つの苦があることに気づいたという。生老病死である。この4つの苦しみを解決するために出家して僧にになったと言われている。若気の至りとは言え、苦を克服するとは、ずいぶん無謀なことを考えたものだ。まあ、当時のブッダは苦労を知らずに育てられた人なのでので仕方がない。

生老病死をさらに掘り下げて、好きな人と別れる時の苦しみ、嫌な人と付き合わなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、自分が思うようにならない苦しみに分けた。思うようにならないというのは、自分の肉体、感覚、想像、心の作用、意識のことだという。生身の人間だから当然と言えば当然だ。

この4つの苦を合わせて四苦八苦と言うらしい。今日の会議は、四苦八苦したなぁとかに使うそれである。

この苦を解消するために考え出したのが、悟りへの具体的な方法である四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)である。

四諦とは、4つの真理のこと。真理といってもブッダが勝手に考えたもので、三角形の内角の和は180度である、というような数学の公理とは違う。

一切は苦であり、何事も苦から始まるという。苦から始まる究極の悲観論者である。菩提樹の下で修行をした時、余程大きな心の傷を負ったのではないかと思う。四苦八苦は、まさに苦を集約したものである。

その苦には原因があるのだという。火の無いところに煙は立たず。当たり前と言えばあたりまえ。エネルギー保存則だ。苦の原因はなにか。3つの原因があると言っている。自分にとって都合の良いものだけを貪り集める(貪欲)、自分にとって都合の悪いことに憤り怒る(瞋恚 しんに)、自己中心にしか物事が考えられず、真理を見さだめようとする心がなく嘆く(愚癡、愚痴 ぐち)。要するに、他の人のことを考えずに、世の中に自分しかいないように考える自己中が苦の原因だという。今流にいうと、私ファーストである。

この苦を撲滅しなければならない。そんなことができるのか、と思ったら、これがさとりということらしい。苦の原因である煩悩を滅した境地が、さとり(涅槃)という考え方。真理に到達した状態。涅槃とは、吹き消された状態のこと。メラメラと燃えているロウソクを吹き消すと天に向かって細い煙が伸びる。これが苦を克服した姿。他人の喜びや悲しみを共感できる豊かな心の状態。これがさとりである。ある意味、極楽浄土、桃源郷、理想的な世界である。

最後に、苦を撲滅してさとりを開くための方法を説いている。これをまとめたのが八正道である。旧約聖書にも「モーセの十戒」というものがある。人を殺してはならないとか、モノを盗んではならないなどが書かれているが、八正道では、細かい指図はなく正しい生活をしなさい、と簡単に述べている。日本人は民度が高いのでこれで分かるのだ。もう少し高度な問題解決のノウハウが詳しく書かれている。ロジカルシンキングでも同じようなプロセスを教えている。まず、現状を調べて今どんな状態かを把握する。それから、あるべき姿を考え、その差分を埋める方針を立てる。方針が決まったら、具体的な方策を考える。正しい行為を繰り返して、あるべき姿に向かって努力する。最後の精神統一というのがおもしろい。自分の精神を自分でコントロールしろ、ということ。外乱が来てもブレないように精神統一して突き進めと言っている。修行である。

1.正しい見解 (正見) 、2.正しい思索 (正思惟) 、3.正しい言葉(正語) 、4.正しい行為 (正業) 、5.正しい生活 (正命) 、6.正しい努力 (正精進) 、7.正しい思いを続ける (正念) 、8.正しい精神統一 (正定)

さとりを開くためには、燃え盛るロウソクの火が消えるまで一心不乱に修行する必要がある。滝に打たれたり、千日かけて山を歩きながら修行する千日回峰行をする修行僧の姿が目に浮かぶ。親鸞聖人は、普通の人は、こんなことは出来ないんじゃないかと言っている。このやり方では、万人を救うことは出来ないと言っている。親鸞聖人本人も、九歳で比叡山に入って、二十九歳まで二十年間も修行したにも関わらず、さとりを開けなかったという経験がある。自分のことをへりくだって「煩悩具足の凡夫」と言っている。そして、煩悩を断ぜずして涅槃(さとり)を得るにはどうしたら良いかを考えた。(不断煩悩得涅槃)

親鸞聖人は、落胆して比叡山から下りた後に、専修念仏を考え出した法然聖人にであった。まさに、巡り合わせの妙、仕合わせである。自分の想定を超えた出会いである。法然聖人に出会わなかったらこんなことを考えている自分もいないのだろうから、本当に不思議で面白い。親鸞聖人の疑問や悩みは、ここから、一気に霧が晴れるように解消する。今まで積み重ねてきた経験、常識を根底からひっくり返すような人生最大のターニングポイントに出会う。

ここで唐突にアミダ様という神様が出てくる。アミダ様は、全ての人を救うために四十八の請願をされたと、お経に書かれているらしいが、私は、まだ、そこまで勉強が進んでいない。それにしても四十八というのは多いな、と思う。覚えきれるものではない。たくさんのことを願ったのだよ、ということかもしれない。ブッダは、絶対的な神様としてアミダ様を考えていたらしい。天体でいうと太陽である。太陽がなければ、動物も植物も生きていくことができない。太陽系の中にあって、全てのエネルギーの源泉は太陽である。生きものは、太陽がなければ、一瞬たりとも生きていくことはできない。天照大神もそうだが、世界中の神話には、太陽を神と崇めている話が多い。古代ギリシャやエジプト、インカ帝国の神話にも太陽神が出てくる。太陽が信仰の対象になっている。岡本太郎が生きていたら聞いてみたかったが、彼が作った太陽の塔も、創作のヒントは太陽神だと思われる。

太陽、すなわちアミダ様がそこにあり、ブッダは、そのまわりを回る地球のようなものと教えていたのではないか。真言密教の曼荼羅も同じような世界観だろう。太陽がなければ、この世は闇だ。全てのものに光を届けているのが太陽、アミダ様であるという考え方だ。アミダは阿弥陀で当て字なので漢字の意味を詮索しても何も出てこない。古代インド語でアミターバから来ていて、「はかりしれない光を持つ者」という意味らしい。仏壇にかけてあるアミダ様の肖像画をみると、光背という光が書かれている。アミダ様は太陽神であると、私は考えている。

アミダ様は、とにかく平等を旨とする。光は、全てのモノに平等に届くのだから。悪人だろうと善人だろうと別け隔てはしない。差別をしないというのがアミダ様の良いところだ。地位や身分は関係ない。みんな切れば血がでる生身の人間だという考え方。浄土とアミダ様の関係がいまいち良く分からないが・・・。

人は、なにかと0と1のデジタルで考えたがる。その方が簡単で考えやすいから。親鸞聖人は、善と悪、自分と他人、生と死、浄(きよい)と穢(けがれ)、愛と憎、優と劣、有と無、美と醜という相対的な価値観に意義を唱えている。そんな単純なものじゃないと思っている。悪人と善人もはっきり区別なんてできない、これは、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の悪人正機でも言っている。全てをありのままに大切な尊厳ある存在として、自己と同じように生きとし生けるものを等しく見ていく心をもつことが、浄土真宗における人間観や生命観の根源的な立場である。白と黒の間にも、無限のグラディエーションがあり分けられない。それがおもしろくて人間的だ。

この平等心を得て、生きとし生きるもの一人ひとりを、一人の子どものように掛け替えのない存在と捉えて大切にしていくことから、親鸞聖人はこのような境地を一子地(いっしじ)と呼んでいるらしい。

何もわからない子どもも、分別ができる大人も、悟りきった老人もみんな同じ、武士も農民も非人も賤民も、みんな平等だということ。アミダ様という太陽のような大きな存在から見るとみんな同じに見えるということ。

スコットランドの羊という話がある。
天文学者「スコットランドの羊はみんな黒いんだね」
物理学者「そうじゃないよ。黒もいれば白もいる、遠くから見ると黒く見えるんだよ」
数学者「大地には少なくとも1匹の羊がいて、その羊の少なくとも片面は黒いということだよ」

アミダ様は、物理学者や数学者のように細かいことにこだわらず、天文学者の目をもっていたのだろう。親鸞聖人は、自力で修行してもブッダが説いたさとりの境地にたどり着くことは無理だろうと考えている。それは、比叡山で20年も修行したのに悟れなかったという自分の経験からきている。

「凡夫というは、無明煩悩われらが身に満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、嫉み、妬む心多く、暇なくして、臨終の一念に至るまで、留まらず、消えず、絶えず」

煩悩は抑えることはできない、死ぬまで消えないよ、と言っている。自分で消そうとしても無理。それを消してくれるのが、アミダ様のはたらきということである。本当だろうか、という疑問が残る。アミダ様の大慈悲心は、修行して自分が特別な何かにならなくても、この身、このままで誰でも「しあわせ」になれることを教えてくれているという。浅学の私には理解できないところが多い。今回は、ここまで。

感話(等さん)
 世の中には、自分は失敗したことがない、と豪語している人がいる。失敗は成功のための肥やしなので失敗ではないという。野球のイチロー選手は、自分の人生は失敗だらけだという。失敗は失敗と素直に受け入れる。失敗して谷底へ突き落とされてはじめて、何クソと奮起して頑張れるのだという。失敗したことはしかたがない、潔く失敗と受け止めているところがイチロー選手らしい。水泳の小谷実可子さんは、オリンピックにでたとき、精一杯練習したのでメダルが取れても取れなくても良いという境地になったという。そのようにリラックスして試合に出て結果は金メダルだったそうである。2020年のオリンピックでも。どんなドラマが生まれるか楽しみである。










2019年6月29日土曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会連盟総会 議事録

2019年度鎌倉組仏教壮年会連盟総会 議事録
2019年6月9日 記録 廣瀬隆夫(組仏壮連盟理事)

4:30:受 付 開 始
15:00:開 会 式(本 堂)
1)開会の辞
2)勤 行(ごんぎょう)(讃仏偈)
3)仏教壮年会連盟綱領唱和
4)鎌倉組組長挨拶
5)鎌倉組仏教壮年会連盟理事長挨拶

-----〈議 場 設 営〉-----

15:30:総会
・議案1 2018年 度 活 動 報 告
・議案2 2018年 度 収 支 報 告 (会計監査報告)
・議案3 2019年 度 活 動 計 画 案
・議案4 2019年 度 予 算 案
・議案5 そ の 他

閉会式
1)『恩徳讃』斉唱
2)閉会の辞

-----〈 休 憩 〉-----

15:50 講 演 会 (パネルディスカッション)
■ 講 題 : 鎌倉組仏壮連盟をいかに活性化するか
・パネリスト: 宮南 靖 氏(教区仏壮連盟理事長)
・橋本 正一氏(鎌倉組長)
・阿部 好明 氏(組・教区仏壮連盟元理事長)
・黒川 孝一 氏(組仏壮連盟理事長 )
・モデレータ :田中 孝典 氏(組仏壮連盟理事)

■ 問題提起(田中)
鎌倉組の寺院の中で、仏教壮年会(以下、仏壮)を結成している寺院は、当初の7ヶ寺のまま増加していない。7ヶ寺中、理事が選出されていない寺院が1ヶ寺、理事が理事会に出席できない状況にある寺院が1ヶ寺ある。いずれも、寺院の仏壮が活動休止状態にあると思われる。現在、理事は12名だが、2名は一度も理事会に出席いただけていない。総会、ボウリング大会とも、参加寺院数、参加人数が減少傾向にある。このような仏壮の衰退傾向の状況を打破するためにはどうしたら良いのかを皆さんで議論していただきたい。教区の状況はいかがでしょうか。

■ 教区の状況(宮南)
総代会と仏壮の組織的なつながりが上手く行っているところは、仏壮の活動順調な所が多い。東京教区の中では、栃木県の正浄寺がその好例だが、地域のコミュニティの意見を取り入れて仏壮が企画したものを総代会が承認するという組織ができており連携がうまくとれている。東京23区は、お寺と檀家が住んでいるところが離れているというハンディはあるが、コミュニケーションができていない。その結果、若者が入ってこなくなり高齢化が進んでいる現状がある。

■ 来恩寺の工夫(橋本)
来恩寺の仏壮の活動は活性化しており、お寺の活性化にも繋がっている。ボウリング大会には若い人や女性、子どもに積極的に参加してもらうようにしている。仏壮、仏婦、子どもが別々に活動するのではなく、できるだけ一緒に活動できるような場をつくることが仏壮の役割ではないか。

■ お寺の住職の協力が重要(黒川)
仏壮だけで活動を広めるのには限界がある。住職が音頭を取って仏壮の活動を盛り上げてほしい。色々な相撲部屋があるが部屋の規模に関わらず土俵に上がって相撲を取ることができる。仏壮の役割は、みんなが出会える相撲の土俵のようなもの。とにかく檀家の人たちを土俵に上げるための後押しをしてもらいたい。土俵の上では、相撲と同じでお寺の大きさは関係ない。

■ 仏壮のないお寺に働きかける(阿部)
男性女性に関係なく、仏壮のないお寺も働きかければ参加してくれるのではないか。以前のイベントで、仏壮のないお寺に呼びかけることで、前年度の2倍の260名の参加を得たことがあった。また、連研との連携も重要だ。浄土真宗本願寺派が行っている連研は誇るべきもので、連研から門徒推進委員への流れはよくできている。これを仏壮の活動につなげたらどうか。また、住職は日頃から連研に参加させたい人をピックアップしておいてほしい。お寺の読書会などを経て連研に参加している人は多い。

■ お参りカードの提案(橋本)
組内の17ヶ寺をスタンプラリーのようにしてお参りする”お参りカード”のようなものを作ったらどうか。全てのお寺を回ると賞品をもらえるとか。鎌倉組17ヶ寺の中で仏壮があるのは7ヶ寺だが、中には仏壮を作らないという方針の住職もいる。門徒の活動を盛り上げて仲間を増やして、檀家の方から住職の背中を押すというのも一案だ。

■ 仏壮を連研卒業生の受け皿に(阿部)
かつて、連研を卒業した門徒推進委員を組の役職にはめ込んで成功した例がある。福井さんの「蜂は何で刺すのか」というお話が好評だったが、法話会などを通して門徒推進委員に参加してもらったらどうか。仏壮に入っていれば、お寺どうしの仲の良い人たちとのつながりができる。本山に行けば全国的な規模で、もっと多くの友だちができる。仏壮の活動を通して、心地良く付き合える人たちの輪を広げるということができると考えている。

■ 連研の楽しさを仏壮に(廣瀬)
現在、連研を受けているが、鎌倉組のお寺を回って、親鸞聖人のお話をお聞きするのは楽しい。それを一つひとつ読み解いていく過程で色々な発見があり、多くの出会いがある。難しい内容で分からないことも多いが、難しいからおもしろいという面もある。先生方のお話や班別に分かれて研修生と門徒推進委員とのお話、感話などにも、様々な気付きや出会いがあり視野が広がった。連研の箱根湯本での一泊研修で私の高校時代の友だちと同じ職場だったという人に出会った。何かに出会えるという連研の楽しさを仏壮の活動に結びつけることができたら良いと思う。仏壮の活動が楽しい出会いの場となればお寺にもっと人は集まると思う。

■ 心地よさ(田中)
どこに行っても知り合いがいるというのは心地よい。若い人を呼び込む秘策はありますか。

■ 共通のテーマで人を集める(宮南)
今は、昔と違って若い人を飲み会に誘ってもなかなか来ない。清掃活動やボランティア活動という、みんなが興味を持てる共通のテーマであれば集まる。みんなで一つの方向に向かうという状況を作ることができれば年齢の差は関係なくなって参加が増えるのではないか。とにかく、みんなでやっていて楽しいという場を作ることが重要だ。

■ 仏壮の亡くなったメンバーの合同追悼供養の提案(橋本)
鎌倉組仏教壮年会連盟の理事として活動されていた、源波さん、青木さんが亡くなった。ご家族の方もお呼びして合同追悼供養をやったらどうか。

■ 法事を増やす(成田)
これからは、高齢化が進み多死時代になる。多死時代になったら法事をやってお寺に来る機会を増やしたらどうかと考えている。そのために過去帳をめくって亡くなったご先祖のことを調べてもらう。法事には亡くなった人がここに帰ってくる、色々な世代の人達が集まる。みんなの顔が見れる。法事は楽しい。こういう流れを作ったらどうか。

■ 子どものテーマから高齢者、青年、婦人を呼び込む(宮南)
子どもたちのためにパラリンピックの重量挙げの選手の講演会を企画した。高齢者、青年、婦人が子どもたちについてくる。孫をかすがいにして次のテーマを考えたらどうか。

■ 入るきっかけは様々(阿部)
私が、仏壮の活動に入ったきっかけは息子の死であった。入るきっかけは様々だ。住職は、日頃から檀家の人たちのことを気にかけて欲しい。

■ いろんな人の力を借りる(田中)
仏壮の中には、色々な特技を持った人がいる。その人たちの出番を作って力を借りることも重要だと思う。

まだ、話し足りないこともあるかと存じますが、懇親会の準備も整ったようですので、最後に、黒川さんにまとめていただきたいと思います。

■ まとめ(黒川)
様々なご意見やご提案をいただきありがとうございました。今回のパネルディスカッションで出していただいた貴重な内容を今後の仏壮の活動の参考にさせていただきたいと思います。1ヶ寺でも多くのお寺に参加していただくと同時に、各寺院の門徒の方々との交流を広げて、活気のある仏壮にしていきたいと思います。これだけのことをいっぺんにやることは難しいと思いますので、出来るところから少しづつ始めていこうと思います。今後とも、ご協力をお願いいたします。

■ 終了(田中)
それでは、これで終会とさせていただきます。パネリストのみなさん、貴重なご意見をいただきありがとうございました。

-----〈休 憩・移 動〉-----

17:30 懇 親 会(会 館)
会所住職挨拶
乾杯
食前のことば

-----〈歓談〉-----

19:00-中締め-
食後のことば



鎌倉組 第13期 連続研修会 第5、6回 成正寺

鎌倉組 第13期 連続研修会 第5、6回 真楽寺
記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この文章は、私の感想に基づいて備忘録として書いたもので厳密なものではありません。
● 2019年6月1日(土)12時30分 国府津駅集合〜2日(日)11時10分 箱根湯本温泉ホテル解散(国府津真楽寺、勧堂(すすめどう)、箱根石仏群、箱根神社宝物館、)
● 研修生 17名
● 1日目
・12時45分〜13時30分:おつとめ (讃仏偈、浄土真宗の生活信条、組長挨拶、真楽寺住職のお寺の縁起の説明、帰命石見学、菩提樹見学、勧堂跡見学)
・14時:バスで箱根へ移動
親鸞聖人お別れの石、石仏群、箱根神社宝物館 橋本順正氏説明
・17時10分:箱根湯本ホテルにてオリエンテーション
・19時:懇親会
● 2日目
・8時:おあさじ(讃仏偈)
・8時30分~10時45分:
講義(今井雅晴先生 筑波大学名誉教授)「関東の親鸞聖人〜相模布教の意義〜」
・11時〜11時15分
閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉、事務連絡)
・11時15分:現地解散
● 次回 8月3日(土)善福寺(大磯)

■ 見たこと、学んだこと、感じたこと
・勧堂(真楽寺から徒歩5分):茨城県稲田の西念寺で教行信証を執筆された後に56歳で、家族揃ってこの地に7年間滞在されて布教をされた。勧堂という石造りのお堂が残っていた。海の近くなので風化しないように石で囲ったと考えられる。良寛の五合庵のようにここに住んでいたというのでなく説法をした場所だったらしい。

・帰命石(真楽寺):真楽寺の境内の帰命堂で、親鸞聖人が名号を書かれたと伝えらる「帰命石」を見学した。現在のものは、後の時代に作られたもので、親鸞聖人が書かれた筆跡が残っている実物の石は、風化を避けるために、お堂の地中に埋められているということであった。
「親鸞聖人が逗留の頃、勧堂の下へ一切経を積んだ唐船が着岸した。その船底に石八枚が積まれていた。親鸞聖人、帰洛の時に末世の人々のためにその石に指で二つの名号を書かれた」ということが「新編相模風土記」に書かれているという住職からのご説明があった。古い「帰命石」の拓本が残っていたが、指でなぞったような書体であった。
(帰命石にかかれてる名号)
帰命尽十方無碍光如来
南無不可思議光佛

・親鸞聖人手植の菩提樹(真楽寺):本堂の横に、大きな菩提樹があった。樹齢370年と推定できるという教育委員会の解説があった。親鸞聖人が植えられたものを、植え継いだものではないかと書いてあった。

・石仏群(旧箱根街道):精進池のほとりにある溶岩石に彫った箱根石仏群の二十五菩薩などを見学した。1体だけ阿弥陀様が彫られているということで探して見つけることができた。砂岩でなく、溶岩性の自然石に彫ってあるので古いものであるが風化が少なくきれいに形が残っていた。

・曽我兄弟の墓(旧箱根街道):日本の三大仇討ちの一つで有名な曽我兄弟の墓。後の二つは赤穂浪士の討ち入り、鍵屋の辻の決闘(荒木又右衛門)。

・日本最古の宝篋印塔(旧箱根街道):石の表面が錆びていたので磁石を近ずけてみたら反応があった。マグマと同じで鉄分が含まれている。溶岩でできた石だと思われる。

・親鸞聖人お別れの石(旧箱根街道):関東布教を終えて京都に帰られるときに腰かけたと云われている石。歌も残っているらしいが、バスの中からの見学だったので見ることができなかった。

・親鸞聖人の銅像(箱根神社):昭和39年に戦争で亡くなった学生を供養するために、親鸞聖人慈悲の像として建てられた。鏡の御影を基にしているだけあって厳しい表情であった。浄土真宗の本山が太平洋戦争に協力したことがあり、その自省の念も込められているらしい。

・講義(箱根湯元ホテル3F会議室)「関東の親鸞聖人〜相模布教の意義〜(今井雅晴先生 筑波大学名誉教授)」
【越後流罪】
親鸞聖人は35歳で越後(新潟)に流されたが、所謂、罪人としての扱いでなく、身分や衣食住は保障されていた。そうでなければ、妻帯して子どもを作り、家族と生活することなどできなかっただろう。布教の対象は、農民だけでなく武士も多かった。

【関東での活動】
40歳前に越後の流罪を解かれて常陸(茨城)の稲田の草庵で教行信証を執筆した。その教行信証を携えて、権力の中心地の鎌倉幕府や関東の玄関口箱根に近い国府津で布教活動を始めた。親鸞聖人は、明晰な頭脳で分析されて影響力の大きいこの地を選ばれたのではないか。ここでの生活は七年と短いが重要な期間であり、この草庵だけに定住していたのでなく、草庵の近くの地域に住んでいたということらしい。

鎌倉に浄土真宗の寺院が少ないのは、それだけ既存仏教の寺院が力を持っていて根付いていた。そこに新たに寺を作るというのは難しかったからということらしい。長生寺もそうだが、鎌倉の近くのほとんどの寺院は、親鸞聖人や蓮如聖人の説法に感化を受けて、天台宗や真言宗などから改宗している。

【親鸞聖人の布教】
この時代は、律令制が定着して荘園が広がっていた。農民は厳しい生活を強いられていた。その中から土地を守るために武士が台頭し争いが絶えなかった。江戸時代のように平和な時代ではなかった。権力者に抑圧されていた庶民の鬱積が溜まっていた時代とも考えられる。親鸞聖人は、農民、武士、商人、職人など、苦境に喘ぐ万人が救われるためにはどうすれば良いのかを考えられた。一部の支配階級、裕福で教育を受けた者、修行して悟りを開いた者だけが救われるということはおかしいと考えられていたに違いない。

浄土真宗は、当時のキリスト教のように理解しがたい邪教として迫害を受けていたのでなく、庶民も幸せに生きる権利があるという基本的人権を覚醒させたということに対する権力者の怖れがあったのではないか。弾圧をしていた支配階級も浄土信仰は理解しており、憧れすら持っていたらしい。

■ 全体を通しての感想

武士が台頭し最初の幕府が鎌倉に出来た時代でまさに変革期。荘園が作られ、土地争いの戦が繰り返され、庶民は苦しい生活を強いられた。生きるために物を奪い人を殺すなどは日常茶飯事であった。

親鸞聖人は、このような庶民に目を向けて全ての人を救うにはどうしたら良いかを考え抜かれた。国府津の滞在は、教行信証を書き終えて、その内容を検証する重要な七年間だったのでは思う。

この相模の地で教行信証を検証し「自分の考えは正しい」という確証を得て、それを携えて京都に戻り、浄土真宗の布教の総仕上げのフェーズに入られたのではないかと思う。

親鸞聖人は、比叡山の延暦寺に二十年以上修行され、あれだけの著作を著された秀才であるが、時代の風を読み生涯人類の幸福について考え続けた救世主でもあった。

箱根神社の親鸞聖人の銅像を拝見すると、厳しい表情の中に深い知性を感じる。非常に頭の良い合理的な考えができる人、全ての人を救うという慈悲の心を持った人、また現実主義の人ではなかったかと思う。

他人が幸せになることを説く前に、自分が幸せでなければならないと考えていたのではないか。うまいものを食べ、気持ち良く眠り、温かい家庭を作り、健康で楽しい生活を送るという万人の欲求を追求し実践してみせたのではないか。一人ひとりがこのような生活をすることで世の中が良くなり、時代が前に進むと確信していたに違いない。

無理をするな、自由に生きろ、幸せになれ、そんなことを親鸞聖人は言われているのではないか。浄土真宗は、まだまだ分からないことだらけだ。でもだから面白い。先は長い。無理に分かろうとしなくていい。これで良いのだ。