2019年10月6日日曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第3回

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第3回

2019年 10月6日(日)15時〜17時 長生寺 寿楽会館2F

黒川さん(長生寺)、下田さん(上正寺)、高橋さん(光明寺)、松井さん(来恩寺)、田中さん(西恩寺)、廣瀬

◾️念仏奉仕団
・12月19日〜20日
・広報活動も兼ねて鎌倉組の全寺院(17ケ寺)に案内を送る

◾️ ボウリング大会
・料理は松坂に任せる(出張費を負担する)
・ボウリングのみは推奨しない
・選択方式でなく、新年会のみ参加に○をつけるようにする

◾️総会の議事録レビュー
・次回の例会(12/15)にレビューを行う

ー今年度直近の予定
・12月15日(日)15時〜 例会 忘年会(芋煮会)スシロー 3人前(36貫)/ 3,840円+税 を2セット準備する。サトイモは高橋さんが用意する。
・3月8日(日)15時〜 総会の内容を検討する

鎌倉組 第13期 連続研修会 第8回 上正寺(茅ヶ崎 小和田)

● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫

※この内容は、お話を聴きして得た私の個人的な感想を書いたものです。
● 2019年10月5日(土)13時〜16時25分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(橋本さん)挨拶、上正寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(葬儀・法事について 光明寺住職:北條祐英さん)
・班別話し合い(13時40分~14時40分)
・発表(14時40分~)
・全体協議会 まとめ 北條祐英さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時25分終了
● 次回 第9回 12月7日(土)長生寺(六浦)

■ 葬儀・法事についての感想とまとめ
祖父(1988年)、祖母(1989年)、父(1999年)の葬儀は、自宅で行った。母(2013年)は、菩提寺の長生寺の会館で行った。最近は、自宅で葬儀を出すところが少なくなった。自宅でやっていたときは、隣組が手伝いがあった。受付や提灯を持った駅での案内、会計、通夜ぶるまいの接待係、配車係などを手分けしてやってくれた。つい最近まで五人組もあったという。

葬式ができる家が少なくなり、隣組を頼むのも面倒、喪主の負担が大きいなどの理由で、葬儀屋を頼むことが多くなった。昔は、人が亡くなると、まず、お寺に連絡したものだが、最近は、最初に葬儀屋に連絡する。病院と葬儀屋がつながっているところもある。すぐに葬儀屋の営業担当が来る。葬儀屋のお世話にならなければならないのは、日ごろ、お寺とのおつきあいが希薄になっているからだろう。

自宅で葬儀をやると喪主にたいへんな負担がかかる。人間関係や部屋の掃除などの準備がたいへんだ。知らない人を自宅に上げたくないという人もいる。それなら、多少お金がかかっても葬儀場を使った方が気が楽だということで葬儀屋に頼む人が増えた。葬儀屋は、サービスが全て値付けされている。エンバーミングと言って遺体のお化粧をするサービスもある。葬儀屋は、すべて仕切ってやってくれてビジネスライクなので喪主は楽だ。お寺の住職は、葬儀というイベントの中の読経というパートを受けもつタレントの一人のようなものになっている。でも葬儀が終わってから請求書を見て驚くことになる。

最近は、あまり人を呼ばない家族だけで行う小さな葬儀が増えてきた。昔は密葬といったが、それだと本葬はどうするということになり、葬儀屋が家族葬という言葉を発明した。病院で亡くなったら、焼き場に直接送ってお骨にする直葬というものがあるらしい。これは、単なる遺体処理であり一生に一度の人の死をあまりにも軽んじているのではないか。また、駅の忘れ物センターには、骨壷がたくさん置いてあるのだという。それは、故意に電車の中に置き忘れた、というより捨てた骨壷だそうだ。これは時代のせいには出来ない悲しいことだ。

こんな話を紹介してくれた。浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は、臨済宗の僧侶、一休さんとして親しまれていた一休宗純と懇意にしていた。一休さんが、正月の席に招かれた。信者から目出度いお言葉をいただきたいと色紙が渡された。一休さんは、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書いた。信者は、正月になんて不吉なことを書くんだと怒った。つかさず一休さんは、「これほど目出度いことはないよ。あなたの子どもや孫が先に死んだらどうだろう。これ以上の不幸はないのではないか。誰でも死ぬ。それなら順番に死んでいくことこそが自然で目出度いことではないだろうか」それを聞いて信者はありがたく、その色紙をいただいて帰ったという。自然な死というものは不幸なことではなく、むしろ目出度いことなのである。

葬儀は何のためにやるのか。浄土真宗は、善を積んで故人を供養するという追善供養はやらない。故人のご冥福をお祈りするという言葉をかけることもない。これは、故人の死後の幸福をお祈りいたしますということである。人は亡くなれば即座に阿彌陀仏の誓願によって浄土=真実の世界に、誰でも行くことができるのでこんなお祈りは必要ない。浄土真宗では、あるかどうか分からない霊魂というものの存在を認めない。だから浄土真宗は、香典袋の表書きに御霊前と書かない。全て御仏前。

清めの塩もない。塩を使うのは、腐らないように塩鮭にするのと同じことで故人に失礼だ。葬儀や法事は、迷っている霊を鎮めるためにやるのではない。故人はけがれたものでも、怖れるものでもなく幽霊になって迷うこともない。だから守り刀も陰膳も必要ない。お坊さんが読むお経も、死者への鎮魂歌ではなく、生きている私たちを阿弥陀様の世界に導くための説法である。葬儀や法事は、死というものを縁にして残された私たちが、仏法に出会う機会を与えてくれる場なのである。

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歎異抄の第五章を味わってみよう。
<<親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。そのゆえは、一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、 六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。>>

親鸞聖人は、亡き父母に孝養を尽くすために追善供養する、というような意味をこめて念仏を申したことは一度もありません。そのわけは、すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、無数の生存を繰りかえしてきたものだからです。

その間には、ある時は父になり、母になり、また、ある時は兄になり、弟になったことがあるに違いありません。生きとし生けるものは、みな懐かしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、仏陀になったときには、一人残さず救わなければならない者たちばかりだからです。

自力で善根功徳を積んで念仏を唱えても、亡くなった父や母を助けるたことはできません。一切の自力のはからいを捨てて、本願他力に身をゆだね、浄土に往生をして、すみやかに仏陀となるという悟りを開いたならば、父や母が、たとえ六道の迷いの境界にあって、さまざまな生を受け、苦しみの中に沈んでいたとしても、悟れるもののみが持つ超人的な救済力と、巧みな手立てをもって、何はさておいても、まずこの世でことに縁の深かったものから救ってゆくはずです、と親鸞聖人は仰せられました。
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本来、通夜は親族だけで過ごすものだった。そこで食べる料理も精進料理で生ものや肉類は使わなかった。今の通夜ぶるまいの豪勢な料理は、会社の同僚などをもてなすために考えたもので本来のものとは違う。

初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌。3と7のつく年が多い。年忌法要は、いつまでやるかというと、決まりはないという。法要を行うことは葬儀と同じで、法要を縁にして残されたものが仏法に出会う機会を与えてくれる場。疎遠にしていた親戚が集まり和やかに故人について語り合い仏法について考えるのが年忌法要である。残された者たちの気持ち次第である。

お寺の住職は、お布施の金額をはっきり示さない。住職にお聞きすると、「お気持ちで結構です」と答える。これを真に受けて本当に気持ちだけお布施を包んでくる人もいるらしい。そもそも、葬儀や法要は商品やサービスではない。消費税を10%上乗せしてお金を払うというものではない。あくまで、気持ちを施すということ。世間相場はあるが、どんな時代になっても、お寺が、お経一時間、松竹梅でいくらという値段を決めて出してくることはない。このお布施でお寺の建物の修繕をしたり、植木の手入れをしたりしているのだから、赤い羽根助け合い運動の寄付のようなものだと考えれば良いのかもしれない。合掌。







2019年10月1日火曜日

第八回 金沢仏教文化講演会

第八回 金沢仏教文化講演会

第1部:「天台聲明~合曼供音用~」
天台聲明音律研究会(天台宗僧侶)

第2部:テーマ「花は嘆かず、今を生きる」
講師 円覚寺 横田南嶺 老師(臨済宗円覚寺派管長)
開催場所 金沢公会堂
主催 金沢区佛教会 金沢区釋尊奉讃会
日時 令和1年9月29日 第1部 12時50分〜14時20分 第2部 14時35分〜15時40分

『花は嘆かず、今を生きる』の感想

いつもハガキを送っていただいておりましたが、初めて金沢区釋尊奉賛会の講演会に参加させていただきました。新しい公会堂も初めてでした。素晴らしい公会堂で、第1部の演奏も抜群の音響でした。200人くらい参加されていました。講師の横田さんは、前の東京オリンピックの時のお生まれということで、私より一回りもお若い方でした。横田さんは、二歳の時に死について興味を持ち、今まで、その一点について研究をされているということでした。私が死を意識したのは、幼稚園の頃だと記憶しています。曽祖父の死がきっかけだと思います。それまでは、人間は死なないと信じていましたので本当に毎日がハッピーでした。葬式を見て、親から話を聞いて人間には死という終着点があることを知り今までの幸福感は霧散しました。還暦を過ぎてお寺と関わることが増えてきて、死というものを日常茶飯事として目の当たりにしてきました。人は、死とは何かを一生かけて考える生き物ではないかと最近思うようになりました。

釋尊は、道ゆく人に死とは何かと問われた時、野に咲く花を一輪摘んで差し出したそうです。それとおなじことを実践した満員のバスの中の少女の詩が紹介されています。死があるから生が輝いていく。どんなに頑張っても100年しか生きられないという絶対的な真理がある。だから、毎日、この一瞬一瞬が大事だと言われていました。春になると野山には、花が一斉に咲き出して生を謳歌しますが、夏が過ぎ秋になると葉が落ち冬になれば、荒野となり何も残りません。この繰り返しを何千年、何万年と続けています。でも、それを決して嘆くことをせず、凛とした綺麗な花を咲かせて人の目を楽しませてくれます。今をどのように生きるかを深く考えさせていただいた日曜の午後でした。(20190929 廣瀬隆夫)

坂村真民(1909~2006)

「花は嘆かず」
わたしは
今を生きる姿を
花に見る

花の命は短くて
など嘆かず
今を生きる

花の姿を
替美する
ああ

咲くもよし
散るもよし
花は嘆かず
今を生きる

「時」
日の昇るにも
手を合わさず

月の沈むにも
心ひかれず

あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ

道のべに花咲けど見ず
梢に鳥鳴けど聞かず
せかせかとして
いかに多きことぞ

二度とないこの人生を
いかに生き
いかに死するか
耳かたむけることもなく
うかうかとして
老いたる人の
いかに多きことぞ

川の流れにも
風の音にも
告げ給う声のあることを
知ろうともせず
金に名誉に地位に
狂奔し終わる人の
いかに多きことぞ

生死事大(しょうじじだい)
無常迅速(むじょうじんそく)

時人を待たず
臆々(ああ)

「自分の花」
真実の自己を見出すために
わたしは坐を続けてきた

自分の花を咲かせるために
わたしは詩を作ってきた

しんみんよしっかりしろと
鞭打ち励まし人生を送ってきた

天才でない者は努力するほかに道はない
タンボポを愛し朴(ほお)を愛するのも
その根強さとその悠揚さとを
身につけたいからである

坐も生死
詩も生死である

ああこの一度ぎりの露命の中に咲く花よ
どんなに小さい花でもよい
わたしはわたしの花を咲かせたい

「タンポポのように」
わたしはタンポポの根のように
強くなりたいと思いました
タンポポは
踏みにじられても
食いちぎられても
泣きごとや弱音や
ぐちは言いません
却ってぐんぐん根を
大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように
明るく生きたいと思いました
太陽の光をいっぱい吸い取って
道べに咲いている
この野草の花をじっと見ていると
どんな辛いことがあっても
どんな苦しいことがあっても
リンリンとした勇気が
体のなかに満ち溢れてくるのです

わたしはタンポポの種のように
どんな遠い処へも飛んでいって
その花言葉のように
幸せをまき散らしたいのです
この花の心をわたしの願いとして
一筋に生きてゆきたいのです

「ただそれだけ」
宗教臭い人間になったら
もうおしまいだ
仏教臭い人間になったら
もうおしまいだ
詩人臭い人間になったら
もうおしまいだ

人を救うんだ
人を助けるんだ
そういうことを
口にする人間になったら
もうおしまいだ

花咲き
花散る
ただそれだけ
それでいいのだ
ただ黙っていても
心が結ばれてゆく
そういう人間にならねばならぬ

「バスのなかで」
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない

そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
わたしは思った

ああこれでよいのだ
たとい明日
地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ

たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感した
いい匂いを放つ
まっ白い花であった

「花」
花には
散ったあとの
悲しみはない
ただ一途に咲いた
喜びだけが残るのだ

「念ずれば花ひらく」
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった

そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようにこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事はかならず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日しづむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一編でも多く
作ってゆこう

わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう

「光が射しているのに」
光が射しているのに
あなたはそれを浴びようとしない

呼んでおられるのに
あなたはそれを聞こうとしない

手をさしのべておられるのに
あなたはそれを握ろうとしない

お経にもそんな人のことを 書いてあります
どうか素直な心になって
二度とない人生を
意義あるように生きて下さい

「タンポポを見よ」
順調に行く者が
必ずしも幸せではないのだ
悲しむな
タンポポを見よ
踏まれても平気で
花を咲かせているではないか

「鈍刀を磨く」
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

「希望」
漫然と生きているのが
一番いけない

人間何か希望を持たねばならぬ
希望は小さくてもよい

自分独自のものであれば
必ずいつか
それが光ってくる

そして
その人を助けるのだ

「本気」
本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事
ああ

人間一度はこいつを
つかまないことには

「悟り」
悟りとは
自分の花を
咲かせることだ

どんな小さい
誰のものでもない

独自の花を
咲かせることだ

「尊いのは足の裏である」
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ

頭から
光が出る
まだまだだめ

額から
光が出る
まだまだいかん

足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である