2019年12月8日日曜日

鎌倉組 第13期 連続研修会 第9回 長生寺(金沢区六浦)

鎌倉組 第13期 連続研修会 第9回 長生寺(金沢区六浦)
● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この内容は、お話を聴きして得た私の個人的な感想を書いたものです。
● 2019年12月7日(土)13時~16時20分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(橋本さん)挨拶、長生寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(お墓・仏壇について 光明寺住職:北條祐英さん)
・班別話し合い(13時40分~14時40分)
・発表(14時40分~)
・全体協議会 まとめ 北條祐英さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時25分終了
● 次回 第10回 2月1日(土)来恩寺(茅ヶ崎)

■ お墓・仏壇についての感想とまとめ

最初にビデオの上映があった。墓じまいや仏壇の廃棄が進んでいるというお話。誰もお参りにこない無縁化したお墓が急速に増えて、仏壇が東南アジアのセレブの人たちに売られてインテリアとして使われている。お墓がないので、送骨と言って焼き場から骨壺を送って合葬墓で供養してもらうケースが増えているという話だった。時代の流れと言ったらそれまでだが、あまりにも寂しい光景であった。

そのあとに、北條さんからビデオの内容に沿った問題提起があり、グループに分かれて話し合いとなった。

それぞれの自分の家の墓について話した。屋敷の中に墓がある家や将来は市営墓地に入る予定という人もいた。仏壇には、ご飯や水を欠かさないという人が多かった。

仏壇というのは、極楽浄土のショールームのようなものだそうだ。浄土真宗の教えは、死んだらすぐに浄土に行けるということになっている。浄土は、この世のしがらみから解き放された華やかな素晴らしい場所だとされている。それを再現したのが仏壇だ。金箔を施した立派なものが多いのはそのためだ。仏壇には、故人の遺影や他宗派の仏像を置かない。特定の偶像崇拝を禁じているためである。中央に阿弥陀様、右に親鸞聖人、左に蓮如聖人の軸をかけるのが一般的だ。位牌でなく、過去帳をおく。そもそも、位牌は、神道から来たもので仏教のしきたりにはない。また、位牌を次々に作っていたら仏壇は、位牌で埋め尽くされてしまうからだ。

線香は立てずに二つに折って寝かせる。今のように線香を立てるようになったのは、江戸時代以降で比較的新しい。密教が入ってきて座禅の時に時間をはかるためという説がある。線香がない時代は、香木の切り屑を灰にきった溝に撒いて火をつけるというものだったらしい。線香が倒れて火事になるということを防ぐという意味もあるように思う。戒名とは言わずに法名という。戒律を守ったものに付けられる戒名は南無阿弥陀仏の他力を旨とする浄土真宗にはそぐわない。だから法名と呼ぶ。仏壇にはご飯以外の食べ物は置かない。お供えしたご飯は後でいただく。法事でも陰膳というものはやらない。

お墓は、先祖がそこに住んでいるところではない。だから何々家の墓とは彫らない。南無阿弥陀仏と彫る。その下に何々家と彫る。梵字も入れない。五輪塔なども置かない。卒塔婆も立てないから浄土真宗のお墓はスッキリしている。浄土真宗には、故人が成仏するように祈る追善供養という考え方がない。その時にあげるのが卒塔婆である。故人は亡くなった瞬間に極楽浄土に行っているのでそのようなものは意味がない。お墓ができても魂入れなどはない。そもそも、霊や魂という存在を認めていない。建碑法要を行う。お墓ができたことを阿弥陀様に報告するという意味である。そのときに、塩や酒、お米などは使わない。本来、墓や死者が不浄のものという考え方がない。だから、葬儀でも清め塩を使わない。守り刀なども必要ない。

覚如上人が著した改邪鈔という書物の中に「今生での私の命が終えたなら、私の体は賀茂川の魚に与えてほしい」と親鸞聖人が言われたと書かれている。肉体にとらわれるのではなく、あくまでも大事なことは信心の獲得であるということである。あまり、お墓の形式にはこだわる必要はないのではないか。後継者がいない方のために最近は、合葬墓などもできている。管理人がいるお墓のマンションのようなものである。浄土真宗の墓参りというのは、亡くなられた方をご縁に自分の人生を振り返り、生きる意味を考える機会とするもの。だから、思い立ったら、いつ行っても良い。

最後に、浄土真宗のお墓参りの良い文章があったのでご紹介する。
【本願寺派の墓参作法(善福寺)】 http://www.zempukuji.or.jp/hakamairi
亡くなられました方は、どなたも阿弥陀如来のはたらきによりまして、浄土の世界へ往生されています。したがいまして、墓に住まわれているということはなく、墓はあくまでも私どもにとっての拠り所であり、学びの場でもあるのです。

墓へ参ることを通じて亡き方を偲び、その歩みをあらためて振り返ったり、その方との交流を思い起こすことにより、自らの「生死」を見つめる機会を得ることができます。そして、ともに浄土へ救われていく身であることを知らされ、感謝のうちに人生を過ごすことができるでしょう。

墓に参りましたら、まず、墓前で一礼し、できれば墓石や周囲を清潔にいたします。そして、花や供物を上げまして、最後に線香を上げるようにいたします。周囲に漂う花の香りや線香の香煙は、何ものにも遮られることのない、阿弥陀如来のはたらきを表現したものです。

こうした準備が終わりましたら、墓前に向かって合掌し、「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。阿弥陀如来を礼拝するとともに、亡き方を思い、心で通じあう時を得ていただきたいと思います。なお、亡き方は阿弥陀如来によって救われ、今、浄土の世界におられます。地獄等に落ちていることは決してありませんので、喉の渇きを癒すため墓石に水をかけることはいたしません。 お参りが済んだら、お供物は紙に包んで持ち帰りましょう。




2019年10月6日日曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第3回

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第3回

2019年 10月6日(日)15時〜17時 長生寺 寿楽会館2F

黒川さん(長生寺)、下田さん(上正寺)、高橋さん(光明寺)、松井さん(来恩寺)、田中さん(西恩寺)、廣瀬

◾️念仏奉仕団
・12月19日〜20日
・広報活動も兼ねて鎌倉組の全寺院(17ケ寺)に案内を送る

◾️ ボウリング大会
・料理は松坂に任せる(出張費を負担する)
・ボウリングのみは推奨しない
・選択方式でなく、新年会のみ参加に○をつけるようにする

◾️総会の議事録レビュー
・次回の例会(12/15)にレビューを行う

ー今年度直近の予定
・12月15日(日)15時〜 例会 忘年会(芋煮会)スシロー 3人前(36貫)/ 3,840円+税 を2セット準備する。サトイモは高橋さんが用意する。
・3月8日(日)15時〜 総会の内容を検討する

鎌倉組 第13期 連続研修会 第8回 上正寺(茅ヶ崎 小和田)

● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫

※この内容は、お話を聴きして得た私の個人的な感想を書いたものです。
● 2019年10月5日(土)13時〜16時25分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(橋本さん)挨拶、上正寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(葬儀・法事について 光明寺住職:北條祐英さん)
・班別話し合い(13時40分~14時40分)
・発表(14時40分~)
・全体協議会 まとめ 北條祐英さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時25分終了
● 次回 第9回 12月7日(土)長生寺(六浦)

■ 葬儀・法事についての感想とまとめ
祖父(1988年)、祖母(1989年)、父(1999年)の葬儀は、自宅で行った。母(2013年)は、菩提寺の長生寺の会館で行った。最近は、自宅で葬儀を出すところが少なくなった。自宅でやっていたときは、隣組が手伝いがあった。受付や提灯を持った駅での案内、会計、通夜ぶるまいの接待係、配車係などを手分けしてやってくれた。つい最近まで五人組もあったという。

葬式ができる家が少なくなり、隣組を頼むのも面倒、喪主の負担が大きいなどの理由で、葬儀屋を頼むことが多くなった。昔は、人が亡くなると、まず、お寺に連絡したものだが、最近は、最初に葬儀屋に連絡する。病院と葬儀屋がつながっているところもある。すぐに葬儀屋の営業担当が来る。葬儀屋のお世話にならなければならないのは、日ごろ、お寺とのおつきあいが希薄になっているからだろう。

自宅で葬儀をやると喪主にたいへんな負担がかかる。人間関係や部屋の掃除などの準備がたいへんだ。知らない人を自宅に上げたくないという人もいる。それなら、多少お金がかかっても葬儀場を使った方が気が楽だということで葬儀屋に頼む人が増えた。葬儀屋は、サービスが全て値付けされている。エンバーミングと言って遺体のお化粧をするサービスもある。葬儀屋は、すべて仕切ってやってくれてビジネスライクなので喪主は楽だ。お寺の住職は、葬儀というイベントの中の読経というパートを受けもつタレントの一人のようなものになっている。でも葬儀が終わってから請求書を見て驚くことになる。

最近は、あまり人を呼ばない家族だけで行う小さな葬儀が増えてきた。昔は密葬といったが、それだと本葬はどうするということになり、葬儀屋が家族葬という言葉を発明した。病院で亡くなったら、焼き場に直接送ってお骨にする直葬というものがあるらしい。これは、単なる遺体処理であり一生に一度の人の死をあまりにも軽んじているのではないか。また、駅の忘れ物センターには、骨壷がたくさん置いてあるのだという。それは、故意に電車の中に置き忘れた、というより捨てた骨壷だそうだ。これは時代のせいには出来ない悲しいことだ。

こんな話を紹介してくれた。浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は、臨済宗の僧侶、一休さんとして親しまれていた一休宗純と懇意にしていた。一休さんが、正月の席に招かれた。信者から目出度いお言葉をいただきたいと色紙が渡された。一休さんは、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書いた。信者は、正月になんて不吉なことを書くんだと怒った。つかさず一休さんは、「これほど目出度いことはないよ。あなたの子どもや孫が先に死んだらどうだろう。これ以上の不幸はないのではないか。誰でも死ぬ。それなら順番に死んでいくことこそが自然で目出度いことではないだろうか」それを聞いて信者はありがたく、その色紙をいただいて帰ったという。自然な死というものは不幸なことではなく、むしろ目出度いことなのである。

葬儀は何のためにやるのか。浄土真宗は、善を積んで故人を供養するという追善供養はやらない。故人のご冥福をお祈りするという言葉をかけることもない。これは、故人の死後の幸福をお祈りいたしますということである。人は亡くなれば即座に阿彌陀仏の誓願によって浄土=真実の世界に、誰でも行くことができるのでこんなお祈りは必要ない。浄土真宗では、あるかどうか分からない霊魂というものの存在を認めない。だから浄土真宗は、香典袋の表書きに御霊前と書かない。全て御仏前。

清めの塩もない。塩を使うのは、腐らないように塩鮭にするのと同じことで故人に失礼だ。葬儀や法事は、迷っている霊を鎮めるためにやるのではない。故人はけがれたものでも、怖れるものでもなく幽霊になって迷うこともない。だから守り刀も陰膳も必要ない。お坊さんが読むお経も、死者への鎮魂歌ではなく、生きている私たちを阿弥陀様の世界に導くための説法である。葬儀や法事は、死というものを縁にして残された私たちが、仏法に出会う機会を与えてくれる場なのである。

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歎異抄の第五章を味わってみよう。
<<親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。そのゆえは、一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、 六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。>>

親鸞聖人は、亡き父母に孝養を尽くすために追善供養する、というような意味をこめて念仏を申したことは一度もありません。そのわけは、すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、無数の生存を繰りかえしてきたものだからです。

その間には、ある時は父になり、母になり、また、ある時は兄になり、弟になったことがあるに違いありません。生きとし生けるものは、みな懐かしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、仏陀になったときには、一人残さず救わなければならない者たちばかりだからです。

自力で善根功徳を積んで念仏を唱えても、亡くなった父や母を助けるたことはできません。一切の自力のはからいを捨てて、本願他力に身をゆだね、浄土に往生をして、すみやかに仏陀となるという悟りを開いたならば、父や母が、たとえ六道の迷いの境界にあって、さまざまな生を受け、苦しみの中に沈んでいたとしても、悟れるもののみが持つ超人的な救済力と、巧みな手立てをもって、何はさておいても、まずこの世でことに縁の深かったものから救ってゆくはずです、と親鸞聖人は仰せられました。
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本来、通夜は親族だけで過ごすものだった。そこで食べる料理も精進料理で生ものや肉類は使わなかった。今の通夜ぶるまいの豪勢な料理は、会社の同僚などをもてなすために考えたもので本来のものとは違う。

初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌。3と7のつく年が多い。年忌法要は、いつまでやるかというと、決まりはないという。法要を行うことは葬儀と同じで、法要を縁にして残されたものが仏法に出会う機会を与えてくれる場。疎遠にしていた親戚が集まり和やかに故人について語り合い仏法について考えるのが年忌法要である。残された者たちの気持ち次第である。

お寺の住職は、お布施の金額をはっきり示さない。住職にお聞きすると、「お気持ちで結構です」と答える。これを真に受けて本当に気持ちだけお布施を包んでくる人もいるらしい。そもそも、葬儀や法要は商品やサービスではない。消費税を10%上乗せしてお金を払うというものではない。あくまで、気持ちを施すということ。世間相場はあるが、どんな時代になっても、お寺が、お経一時間、松竹梅でいくらという値段を決めて出してくることはない。このお布施でお寺の建物の修繕をしたり、植木の手入れをしたりしているのだから、赤い羽根助け合い運動の寄付のようなものだと考えれば良いのかもしれない。合掌。







2019年10月1日火曜日

第八回 金沢仏教文化講演会

第八回 金沢仏教文化講演会

第1部:「天台聲明~合曼供音用~」
天台聲明音律研究会(天台宗僧侶)

第2部:テーマ「花は嘆かず、今を生きる」
講師 円覚寺 横田南嶺 老師(臨済宗円覚寺派管長)
開催場所 金沢公会堂
主催 金沢区佛教会 金沢区釋尊奉讃会
日時 令和1年9月29日 第1部 12時50分〜14時20分 第2部 14時35分〜15時40分

『花は嘆かず、今を生きる』の感想

いつもハガキを送っていただいておりましたが、初めて金沢区釋尊奉賛会の講演会に参加させていただきました。新しい公会堂も初めてでした。素晴らしい公会堂で、第1部の演奏も抜群の音響でした。200人くらい参加されていました。講師の横田さんは、前の東京オリンピックの時のお生まれということで、私より一回りもお若い方でした。横田さんは、二歳の時に死について興味を持ち、今まで、その一点について研究をされているということでした。私が死を意識したのは、幼稚園の頃だと記憶しています。曽祖父の死がきっかけだと思います。それまでは、人間は死なないと信じていましたので本当に毎日がハッピーでした。葬式を見て、親から話を聞いて人間には死という終着点があることを知り今までの幸福感は霧散しました。還暦を過ぎてお寺と関わることが増えてきて、死というものを日常茶飯事として目の当たりにしてきました。人は、死とは何かを一生かけて考える生き物ではないかと最近思うようになりました。

釋尊は、道ゆく人に死とは何かと問われた時、野に咲く花を一輪摘んで差し出したそうです。それとおなじことを実践した満員のバスの中の少女の詩が紹介されています。死があるから生が輝いていく。どんなに頑張っても100年しか生きられないという絶対的な真理がある。だから、毎日、この一瞬一瞬が大事だと言われていました。春になると野山には、花が一斉に咲き出して生を謳歌しますが、夏が過ぎ秋になると葉が落ち冬になれば、荒野となり何も残りません。この繰り返しを何千年、何万年と続けています。でも、それを決して嘆くことをせず、凛とした綺麗な花を咲かせて人の目を楽しませてくれます。今をどのように生きるかを深く考えさせていただいた日曜の午後でした。(20190929 廣瀬隆夫)

坂村真民(1909~2006)

「花は嘆かず」
わたしは
今を生きる姿を
花に見る

花の命は短くて
など嘆かず
今を生きる

花の姿を
替美する
ああ

咲くもよし
散るもよし
花は嘆かず
今を生きる

「時」
日の昇るにも
手を合わさず

月の沈むにも
心ひかれず

あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ

道のべに花咲けど見ず
梢に鳥鳴けど聞かず
せかせかとして
いかに多きことぞ

二度とないこの人生を
いかに生き
いかに死するか
耳かたむけることもなく
うかうかとして
老いたる人の
いかに多きことぞ

川の流れにも
風の音にも
告げ給う声のあることを
知ろうともせず
金に名誉に地位に
狂奔し終わる人の
いかに多きことぞ

生死事大(しょうじじだい)
無常迅速(むじょうじんそく)

時人を待たず
臆々(ああ)

「自分の花」
真実の自己を見出すために
わたしは坐を続けてきた

自分の花を咲かせるために
わたしは詩を作ってきた

しんみんよしっかりしろと
鞭打ち励まし人生を送ってきた

天才でない者は努力するほかに道はない
タンボポを愛し朴(ほお)を愛するのも
その根強さとその悠揚さとを
身につけたいからである

坐も生死
詩も生死である

ああこの一度ぎりの露命の中に咲く花よ
どんなに小さい花でもよい
わたしはわたしの花を咲かせたい

「タンポポのように」
わたしはタンポポの根のように
強くなりたいと思いました
タンポポは
踏みにじられても
食いちぎられても
泣きごとや弱音や
ぐちは言いません
却ってぐんぐん根を
大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように
明るく生きたいと思いました
太陽の光をいっぱい吸い取って
道べに咲いている
この野草の花をじっと見ていると
どんな辛いことがあっても
どんな苦しいことがあっても
リンリンとした勇気が
体のなかに満ち溢れてくるのです

わたしはタンポポの種のように
どんな遠い処へも飛んでいって
その花言葉のように
幸せをまき散らしたいのです
この花の心をわたしの願いとして
一筋に生きてゆきたいのです

「ただそれだけ」
宗教臭い人間になったら
もうおしまいだ
仏教臭い人間になったら
もうおしまいだ
詩人臭い人間になったら
もうおしまいだ

人を救うんだ
人を助けるんだ
そういうことを
口にする人間になったら
もうおしまいだ

花咲き
花散る
ただそれだけ
それでいいのだ
ただ黙っていても
心が結ばれてゆく
そういう人間にならねばならぬ

「バスのなかで」
この地球は
一万年後
どうなるかわからない
いや明日
どうなるかわからない

そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が
きれいな花を
自分よりも大事そうに
高々とさしあげて
乗り込んできた
わたしは思った

ああこれでよいのだ
たとい明日
地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ

たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を
失わずにゆこうと
涙ぐましいまで
清められるものを感した
いい匂いを放つ
まっ白い花であった

「花」
花には
散ったあとの
悲しみはない
ただ一途に咲いた
喜びだけが残るのだ

「念ずれば花ひらく」
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった

そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようにこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事はかならず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日しづむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一編でも多く
作ってゆこう

わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう

「光が射しているのに」
光が射しているのに
あなたはそれを浴びようとしない

呼んでおられるのに
あなたはそれを聞こうとしない

手をさしのべておられるのに
あなたはそれを握ろうとしない

お経にもそんな人のことを 書いてあります
どうか素直な心になって
二度とない人生を
意義あるように生きて下さい

「タンポポを見よ」
順調に行く者が
必ずしも幸せではないのだ
悲しむな
タンポポを見よ
踏まれても平気で
花を咲かせているではないか

「鈍刀を磨く」
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

「希望」
漫然と生きているのが
一番いけない

人間何か希望を持たねばならぬ
希望は小さくてもよい

自分独自のものであれば
必ずいつか
それが光ってくる

そして
その人を助けるのだ

「本気」
本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる

変わってこなかったら
まだ本気になっていない証拠だ

本気な恋
本気な仕事
ああ

人間一度はこいつを
つかまないことには

「悟り」
悟りとは
自分の花を
咲かせることだ

どんな小さい
誰のものでもない

独自の花を
咲かせることだ

「尊いのは足の裏である」
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ

頭から
光が出る
まだまだだめ

額から
光が出る
まだまだいかん

足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である



2019年8月25日日曜日

2019年度長生寺ライヴコンサート報告

長生寺 壮年会 廣瀬隆夫

■ 日時 2019年8月24日 (土) 14時〜16時
■ 場所 長生寺 聚楽会館
http://choushouji.jp/
■ 演奏 ハワイアンバンド「パームアイランダース」、フラダンス「アオラニ・フラスタジオ」、長生寺和太鼓クラブ
http://hirose.my.coocan.jp/palm/
https://www.aolani-hula-studio.com/

【2005年の長生寺ハワイアンコンサート】
http://hirose.my.coocan.jp/palm/text/no3/concert170129.html

第一部 和太鼓の演奏(長生寺和太鼓クラブ)
第二部 ハワイアンとフラダンスの宴(パームアイランダース、アオラニ・フラスタジオ)
■ 曲目
・カイマナヒラ
・アオイア
・ビヨンザリーフ
・ヘウイ
・南国の夜
・プアリリレフア
・みんなで歌おう(ボケない小唄、恩徳讃、真宗宗歌)
【ボケます小唄 VS ボケない小唄】
http://hirose.my.coocan.jp/palm/text/bokenai.html
・みんなで踊ろう(月の夜は)
・ケアロハ
・赤いレイ
・Show me how to do the HULA
・幸せはここに

■ 参加人数 約100名

■ 長生寺壮年会会長のご挨拶
本日は、ご来場、ありがとうございました。この長生寺ライヴコンサートは、今回が初めてです。昨年までは、長生寺サマーキッズフェスタと銘打って、金魚すくいやヨーヨー、綿菓子などの屋台を出店して、子どもたちに楽しんでいただいておりましたが、壮年会のメンバーも高齢化が進み、体力的にも厳しい局面に立たされました。

そこで新企画としてライヴコンサートを実施する運びとなりました。今回は、ハワイアンコンサートということで、どうぞ最後までお楽しみください。

それから、境内に住職が育てたメダカを置いてありますので、よろしければ、お帰りの際にお持ちください。(黒川孝一さん)

(パームアイランダースについて)
パームアイランダースは、1997(平成9)年に慶応大学でクラブ活動をしておられた皆様が、定年退職された後に、再結成されたハワイアンバンドです。パームは、椰子の実、バンド名のパームアイランダースは、椰子の実が茂る島をイメージされています。コンセプトは、生きがい、友情、感動、そして、感謝、この言葉はハワイの挨拶のアロハに込められているそうです。

現在、地域の高齢者施設や病院、教会などで演奏活動を行っており、ボランティアで年間、数十回の演奏をこなされています。先週も、朝比奈の西金沢地域ケアプラザで演奏会を行ったとお聞きしています。

長生寺とパームアイランダースの関係を申し上げますと、私ごとで僭越ですが、ギターの星野さんが、私の会社の元・上司ということで、ハワイで修行され、ハワイアンが大好きな住職の六浦さんにご紹介したのがきっかけです。

星野さんには、公私ともにたいへんにお世話になっておりますが、今回、また、こういう形でご縁をいただいたことに深く感謝しております。実は、パームアイランダースは、今回が初めてでなく、ご記憶の方もおられるかと思いますが、14年前の2005年に長生寺で演奏をしていただいております。
さらに磨きのかかった楽しい演奏をお聴きできると期待しております。(廣瀬)

■ 参加者の声
・ハワイアンや和太鼓はもちろんですが、最後に会場にいた人全員で輪になり手を繋いで・・・楽しかったです。知りあいも沢山いました。ありがとうございました。

・久しぶりのハワイアンを聴かせて頂けて、とても気持ちが和みました。良かったです。フラダンスの方とても上手で良いものを見せて頂けました。偶然にもフラダンスをしている友達と久しぶりに会いました。此のような企画また楽しみにしております。有難うございました。

・昨日は楽しかったです。お声かけていただき、ありがとうございました。

・昨日は素敵なハワイアンコンサートを聴く機会をくださりありがとうございました。この時期にぴったりの催しで、また、長生寺さんの美しいホールで聴き、良き、”非日常”を味わうことができました。企画される側としてのご苦労が多々おありだったと思います。その点も含めて感謝しております。今後ともよろしくお願い致します。

・勇壮な和太鼓と癒やされるハワイアンの組み合わせが良かったです。演奏する人と観客が一体となってみんなで楽しむことができました。ありがとうございました。

(感話)
”お寺で、何でハワイアン?”という驚きの声がありました。この前の研修会で、幸せとは本来は”仕合せ”と書くとお聞きしました。巡り会えて良かった、というのが本来の幸せの意味だそうです。今回のハワイアンコンサートの参加者の声を読ませていただきますと、ここで新しい出会いがあったというお話が、いくつかありました。

私もハワイアンバンドの星野さんと30年前に出会わなかったら今のような人生があったか分かりませんし、このようなハワイアンコンサートもなかった訳ですから、この出会い、ご縁というものは、非常に大切なものだと思っています。

親鸞聖人も法然上人との出会いを人生最大の幸せとしています。そのような意味で、今回、お寺でのハワイアンコンサートで多くの出会いがあり、多くの人が仲良くハワイアンを楽しむことができたことは、大変喜ばしいことだと思いました。まさに、生きがい、友情、感動、そして、感謝、アロハの心です。演奏されたみなさん、参加されたみなさん、ありがとうございました。この日は、息子がニュージーランドから帰国する日とぶつかってしまい、コンサートを中断して成田まで迎えに行くことになってしまいました。最後までお聴きできず残念でした。次回は、フルでお聴きしたいと思います。(廣瀬)















2019年8月19日月曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第2回

2019年度鎌倉組仏教壮年会理事会 第2回

2019年 8月18日(日)15時〜17時 長生寺 寿楽会館2F
17時〜19時 暑気払い

黒川さん(長生寺)、下田さん(上正寺)、高橋さん(光明寺)、松井さん(来恩寺)、田中さん(西恩寺)、廣瀬

◾️ 総会の会計報告(松井さん)
・残金 27,943円

◾️ ボウリング大会の状況(下田さん)
・ボウリング場の予約完了
・宴会場、商工会議所の予約完了

◾️総会の結果について
・仏壮を活性化させるという課題は、早急に対策を練らなければならない。
・名前だけ出して、連絡先を公開しない寺がある。
・等さん、青木さんの後任を顧問を通して住職にお願いする。
・全員、理事という肩書きには違和感がある。実行委員や活動委員で良いのではないのか。
・仏壮の活動の広報を行い、ここの入れば楽しいという状況にしたい。
・暑気払いや忘年会に呼んだらどうか。

ー今年度直近の予定
・10月6日(日)15時〜 例会
・12月15日(日)15時〜 例会 忘年会(芋煮会)

2019年8月8日木曜日

鎌倉組 第13期 連続研修会 第7回 善福寺(大磯)

鎌倉組 第13期 連続研修会 第7回 善福寺(大磯)
● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この文章は、私の個人的な感想で正確な記述ではありません。
● 2019年8月3日(土)13時〜16時15分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(北條さん)挨拶、善福寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(苦・しあわせについて 武蔵野大学准教授:前田壽雄(ひさお)さん)
・班別話し合い(13時50分~14時50分)
・発表(15時~)
・全体協議会 まとめ 前田壽雄さん
・閉会式(感話(等さん)、恩徳讃、閉会の言葉)16時15分終了
● 次回 第8回 10月5日(土)上正寺(茅ヶ崎 小和田)

■ 感想
前回の箱根研修の続きで、大磯に行った。お寺は、平塚と大磯のちょうど真ん中にあり、どちらから行っても同じ距離。JR平塚駅の北口は大きなバスのりばになっていて目的のバス停を探すのにひと苦労した。偶然、研修生数人に会えたので、珍しく迷うことなくお寺に行くことができた。

川の近くの立派なお寺で、庭に大きな穴が空いている築山のようなものがあるので不思議に思ってお寺の縁起では、縄文時代の横穴式古墳の遺跡ということだった。最初は善福寺住職のお話。親鸞聖人は、越後(新潟)に流され、その後、常陸(茨木)で教行信証を執筆されるのですが、その後に相模(国府津)に布教された際に、聖人の教化を受けた平塚入道(了源)が開祖となるお寺というご説明があった。了源さんは、俗名を曽我十郎祐成の子どもの祐若と言い、曽我十郎祐成は、仇討ちで有名な曽我兄弟の兄。了源さんの坐像が残っており、親鸞聖人の坐像とも言い伝えられている。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/jisya/zenpukuji.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/曾我兄弟の仇討ち

今回の演題は、「苦とは何か、しあわせとは何か」であった。前田さんは最初に言葉の定義をされた。苦とは不快や嫌なことでなく、思い通りにならないこと。しあわせとは、仕合わせ、すなわち、巡り合わせの妙ということであった。幸せという漢字は本来の意味ではないということであった。

中島みゆきの「糸」という歌がある。

・・・・
なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない。
(省略)
縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます。
・・・・

これが本来の”しあわせ”の意味である。

始めに研修生が3つのグループに分かれて話し合いをした。討論でなく、自分の考えを自由に述べて、思いを解き放す場である。

お客様からのクレーム対応で、マニュアル通りに納得してくれない場合に、苦を感じるという。逆に、話が自分の思い通りにうまく進んだ時には、しあわせを感じる。機械やコンピュータは、自分の思い通りになるので、うまく動いてくれている間は苦を感じない。それでも、ミスが起きるのは、ほとんどの原因は人間が作っている。人が介在しない限り苦は感じない。でも、全てがうまくいってしまうというのは、少しも面白くないし、しあわせも感じない。

草取りでは、自分の意思で勝手に草を刈ることができる。草は、文句を言わないのでストレスを感じない、それをしあわせに感じている人がいるという話があった。でも、それが、しあわせなのだろうかという意見が出た。モノでも植物でも、相手を思いやるという気持ちが必要ではないのか。

苦がなければ、しあわせもないというのがこの話し合いの一つの結論であった。

班別の話し合いが終わって、前田さんからの謎解きのようなお話があった。

そもそも、仏教は、人生は苦だ、というところから始まっている。何も不自由なく育ったブッダは、東西南北、城の4つの門の周りを歩いているうちに、自分ではコントロール不能な4つの苦があることに気づいたという。生老病死である。この4つの苦しみを解決するために出家して僧にになったと言われている。若気の至りとは言え、苦を克服するとは、ずいぶん無謀なことを考えたものだ。まあ、当時のブッダは苦労を知らずに育てられた人なのでので仕方がない。

生老病死をさらに掘り下げて、好きな人と別れる時の苦しみ、嫌な人と付き合わなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、自分が思うようにならない苦しみに分けた。思うようにならないというのは、自分の肉体、感覚、想像、心の作用、意識のことだという。生身の人間だから当然と言えば当然だ。

この4つの苦を合わせて四苦八苦と言うらしい。今日の会議は、四苦八苦したなぁとかに使うそれである。

この苦を解消するために考え出したのが、悟りへの具体的な方法である四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)である。

四諦とは、4つの真理のこと。真理といってもブッダが勝手に考えたもので、三角形の内角の和は180度である、というような数学の公理とは違う。

一切は苦であり、何事も苦から始まるという。苦から始まる究極の悲観論者である。菩提樹の下で修行をした時、余程大きな心の傷を負ったのではないかと思う。四苦八苦は、まさに苦を集約したものである。

その苦には原因があるのだという。火の無いところに煙は立たず。当たり前と言えばあたりまえ。エネルギー保存則だ。苦の原因はなにか。3つの原因があると言っている。自分にとって都合の良いものだけを貪り集める(貪欲)、自分にとって都合の悪いことに憤り怒る(瞋恚 しんに)、自己中心にしか物事が考えられず、真理を見さだめようとする心がなく嘆く(愚癡、愚痴 ぐち)。要するに、他の人のことを考えずに、世の中に自分しかいないように考える自己中が苦の原因だという。今流にいうと、私ファーストである。

この苦を撲滅しなければならない。そんなことができるのか、と思ったら、これがさとりということらしい。苦の原因である煩悩を滅した境地が、さとり(涅槃)という考え方。真理に到達した状態。涅槃とは、吹き消された状態のこと。メラメラと燃えているロウソクを吹き消すと天に向かって細い煙が伸びる。これが苦を克服した姿。他人の喜びや悲しみを共感できる豊かな心の状態。これがさとりである。ある意味、極楽浄土、桃源郷、理想的な世界である。

最後に、苦を撲滅してさとりを開くための方法を説いている。これをまとめたのが八正道である。旧約聖書にも「モーセの十戒」というものがある。人を殺してはならないとか、モノを盗んではならないなどが書かれているが、八正道では、細かい指図はなく正しい生活をしなさい、と簡単に述べている。日本人は民度が高いのでこれで分かるのだ。もう少し高度な問題解決のノウハウが詳しく書かれている。ロジカルシンキングでも同じようなプロセスを教えている。まず、現状を調べて今どんな状態かを把握する。それから、あるべき姿を考え、その差分を埋める方針を立てる。方針が決まったら、具体的な方策を考える。正しい行為を繰り返して、あるべき姿に向かって努力する。最後の精神統一というのがおもしろい。自分の精神を自分でコントロールしろ、ということ。外乱が来てもブレないように精神統一して突き進めと言っている。修行である。

1.正しい見解 (正見) 、2.正しい思索 (正思惟) 、3.正しい言葉(正語) 、4.正しい行為 (正業) 、5.正しい生活 (正命) 、6.正しい努力 (正精進) 、7.正しい思いを続ける (正念) 、8.正しい精神統一 (正定)

さとりを開くためには、燃え盛るロウソクの火が消えるまで一心不乱に修行する必要がある。滝に打たれたり、千日かけて山を歩きながら修行する千日回峰行をする修行僧の姿が目に浮かぶ。親鸞聖人は、普通の人は、こんなことは出来ないんじゃないかと言っている。このやり方では、万人を救うことは出来ないと言っている。親鸞聖人本人も、九歳で比叡山に入って、二十九歳まで二十年間も修行したにも関わらず、さとりを開けなかったという経験がある。自分のことをへりくだって「煩悩具足の凡夫」と言っている。そして、煩悩を断ぜずして涅槃(さとり)を得るにはどうしたら良いかを考えた。(不断煩悩得涅槃)

親鸞聖人は、落胆して比叡山から下りた後に、専修念仏を考え出した法然聖人にであった。まさに、巡り合わせの妙、仕合わせである。自分の想定を超えた出会いである。法然聖人に出会わなかったらこんなことを考えている自分もいないのだろうから、本当に不思議で面白い。親鸞聖人の疑問や悩みは、ここから、一気に霧が晴れるように解消する。今まで積み重ねてきた経験、常識を根底からひっくり返すような人生最大のターニングポイントに出会う。

ここで唐突にアミダ様という神様が出てくる。アミダ様は、全ての人を救うために四十八の請願をされたと、お経に書かれているらしいが、私は、まだ、そこまで勉強が進んでいない。それにしても四十八というのは多いな、と思う。覚えきれるものではない。たくさんのことを願ったのだよ、ということかもしれない。ブッダは、絶対的な神様としてアミダ様を考えていたらしい。天体でいうと太陽である。太陽がなければ、動物も植物も生きていくことができない。太陽系の中にあって、全てのエネルギーの源泉は太陽である。生きものは、太陽がなければ、一瞬たりとも生きていくことはできない。天照大神もそうだが、世界中の神話には、太陽を神と崇めている話が多い。古代ギリシャやエジプト、インカ帝国の神話にも太陽神が出てくる。太陽が信仰の対象になっている。岡本太郎が生きていたら聞いてみたかったが、彼が作った太陽の塔も、創作のヒントは太陽神だと思われる。

太陽、すなわちアミダ様がそこにあり、ブッダは、そのまわりを回る地球のようなものと教えていたのではないか。真言密教の曼荼羅も同じような世界観だろう。太陽がなければ、この世は闇だ。全てのものに光を届けているのが太陽、アミダ様であるという考え方だ。アミダは阿弥陀で当て字なので漢字の意味を詮索しても何も出てこない。古代インド語でアミターバから来ていて、「はかりしれない光を持つ者」という意味らしい。仏壇にかけてあるアミダ様の肖像画をみると、光背という光が書かれている。アミダ様は太陽神であると、私は考えている。

アミダ様は、とにかく平等を旨とする。光は、全てのモノに平等に届くのだから。悪人だろうと善人だろうと別け隔てはしない。差別をしないというのがアミダ様の良いところだ。地位や身分は関係ない。みんな切れば血がでる生身の人間だという考え方。浄土とアミダ様の関係がいまいち良く分からないが・・・。

人は、なにかと0と1のデジタルで考えたがる。その方が簡単で考えやすいから。親鸞聖人は、善と悪、自分と他人、生と死、浄(きよい)と穢(けがれ)、愛と憎、優と劣、有と無、美と醜という相対的な価値観に意義を唱えている。そんな単純なものじゃないと思っている。悪人と善人もはっきり区別なんてできない、これは、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の悪人正機でも言っている。全てをありのままに大切な尊厳ある存在として、自己と同じように生きとし生けるものを等しく見ていく心をもつことが、浄土真宗における人間観や生命観の根源的な立場である。白と黒の間にも、無限のグラディエーションがあり分けられない。それがおもしろくて人間的だ。

この平等心を得て、生きとし生きるもの一人ひとりを、一人の子どものように掛け替えのない存在と捉えて大切にしていくことから、親鸞聖人はこのような境地を一子地(いっしじ)と呼んでいるらしい。

何もわからない子どもも、分別ができる大人も、悟りきった老人もみんな同じ、武士も農民も非人も賤民も、みんな平等だということ。アミダ様という太陽のような大きな存在から見るとみんな同じに見えるということ。

スコットランドの羊という話がある。
天文学者「スコットランドの羊はみんな黒いんだね」
物理学者「そうじゃないよ。黒もいれば白もいる、遠くから見ると黒く見えるんだよ」
数学者「大地には少なくとも1匹の羊がいて、その羊の少なくとも片面は黒いということだよ」

アミダ様は、物理学者や数学者のように細かいことにこだわらず、天文学者の目をもっていたのだろう。親鸞聖人は、自力で修行してもブッダが説いたさとりの境地にたどり着くことは無理だろうと考えている。それは、比叡山で20年も修行したのに悟れなかったという自分の経験からきている。

「凡夫というは、無明煩悩われらが身に満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、嫉み、妬む心多く、暇なくして、臨終の一念に至るまで、留まらず、消えず、絶えず」

煩悩は抑えることはできない、死ぬまで消えないよ、と言っている。自分で消そうとしても無理。それを消してくれるのが、アミダ様のはたらきということである。本当だろうか、という疑問が残る。アミダ様の大慈悲心は、修行して自分が特別な何かにならなくても、この身、このままで誰でも「しあわせ」になれることを教えてくれているという。浅学の私には理解できないところが多い。今回は、ここまで。

感話(等さん)
 世の中には、自分は失敗したことがない、と豪語している人がいる。失敗は成功のための肥やしなので失敗ではないという。野球のイチロー選手は、自分の人生は失敗だらけだという。失敗は失敗と素直に受け入れる。失敗して谷底へ突き落とされてはじめて、何クソと奮起して頑張れるのだという。失敗したことはしかたがない、潔く失敗と受け止めているところがイチロー選手らしい。水泳の小谷実可子さんは、オリンピックにでたとき、精一杯練習したのでメダルが取れても取れなくても良いという境地になったという。そのようにリラックスして試合に出て結果は金メダルだったそうである。2020年のオリンピックでも。どんなドラマが生まれるか楽しみである。










2019年6月29日土曜日

2019年度鎌倉組仏教壮年会連盟総会 議事録

2019年度鎌倉組仏教壮年会連盟総会 議事録
2019年6月9日 記録 廣瀬隆夫(組仏壮連盟理事)

4:30:受 付 開 始
15:00:開 会 式(本 堂)
1)開会の辞
2)勤 行(ごんぎょう)(讃仏偈)
3)仏教壮年会連盟綱領唱和
4)鎌倉組組長挨拶
5)鎌倉組仏教壮年会連盟理事長挨拶

-----〈議 場 設 営〉-----

15:30:総会
・議案1 2018年 度 活 動 報 告
・議案2 2018年 度 収 支 報 告 (会計監査報告)
・議案3 2019年 度 活 動 計 画 案
・議案4 2019年 度 予 算 案
・議案5 そ の 他

閉会式
1)『恩徳讃』斉唱
2)閉会の辞

-----〈 休 憩 〉-----

15:50 講 演 会 (パネルディスカッション)
■ 講 題 : 鎌倉組仏壮連盟をいかに活性化するか
・パネリスト: 宮南 靖 氏(教区仏壮連盟理事長)
・橋本 正一氏(鎌倉組長)
・阿部 好明 氏(組・教区仏壮連盟元理事長)
・黒川 孝一 氏(組仏壮連盟理事長 )
・モデレータ :田中 孝典 氏(組仏壮連盟理事)

■ 問題提起(田中)
鎌倉組の寺院の中で、仏教壮年会(以下、仏壮)を結成している寺院は、当初の7ヶ寺のまま増加していない。7ヶ寺中、理事が選出されていない寺院が1ヶ寺、理事が理事会に出席できない状況にある寺院が1ヶ寺ある。いずれも、寺院の仏壮が活動休止状態にあると思われる。現在、理事は12名だが、2名は一度も理事会に出席いただけていない。総会、ボウリング大会とも、参加寺院数、参加人数が減少傾向にある。このような仏壮の衰退傾向の状況を打破するためにはどうしたら良いのかを皆さんで議論していただきたい。教区の状況はいかがでしょうか。

■ 教区の状況(宮南)
総代会と仏壮の組織的なつながりが上手く行っているところは、仏壮の活動順調な所が多い。東京教区の中では、栃木県の正浄寺がその好例だが、地域のコミュニティの意見を取り入れて仏壮が企画したものを総代会が承認するという組織ができており連携がうまくとれている。東京23区は、お寺と檀家が住んでいるところが離れているというハンディはあるが、コミュニケーションができていない。その結果、若者が入ってこなくなり高齢化が進んでいる現状がある。

■ 来恩寺の工夫(橋本)
来恩寺の仏壮の活動は活性化しており、お寺の活性化にも繋がっている。ボウリング大会には若い人や女性、子どもに積極的に参加してもらうようにしている。仏壮、仏婦、子どもが別々に活動するのではなく、できるだけ一緒に活動できるような場をつくることが仏壮の役割ではないか。

■ お寺の住職の協力が重要(黒川)
仏壮だけで活動を広めるのには限界がある。住職が音頭を取って仏壮の活動を盛り上げてほしい。色々な相撲部屋があるが部屋の規模に関わらず土俵に上がって相撲を取ることができる。仏壮の役割は、みんなが出会える相撲の土俵のようなもの。とにかく檀家の人たちを土俵に上げるための後押しをしてもらいたい。土俵の上では、相撲と同じでお寺の大きさは関係ない。

■ 仏壮のないお寺に働きかける(阿部)
男性女性に関係なく、仏壮のないお寺も働きかければ参加してくれるのではないか。以前のイベントで、仏壮のないお寺に呼びかけることで、前年度の2倍の260名の参加を得たことがあった。また、連研との連携も重要だ。浄土真宗本願寺派が行っている連研は誇るべきもので、連研から門徒推進委員への流れはよくできている。これを仏壮の活動につなげたらどうか。また、住職は日頃から連研に参加させたい人をピックアップしておいてほしい。お寺の読書会などを経て連研に参加している人は多い。

■ お参りカードの提案(橋本)
組内の17ヶ寺をスタンプラリーのようにしてお参りする”お参りカード”のようなものを作ったらどうか。全てのお寺を回ると賞品をもらえるとか。鎌倉組17ヶ寺の中で仏壮があるのは7ヶ寺だが、中には仏壮を作らないという方針の住職もいる。門徒の活動を盛り上げて仲間を増やして、檀家の方から住職の背中を押すというのも一案だ。

■ 仏壮を連研卒業生の受け皿に(阿部)
かつて、連研を卒業した門徒推進委員を組の役職にはめ込んで成功した例がある。福井さんの「蜂は何で刺すのか」というお話が好評だったが、法話会などを通して門徒推進委員に参加してもらったらどうか。仏壮に入っていれば、お寺どうしの仲の良い人たちとのつながりができる。本山に行けば全国的な規模で、もっと多くの友だちができる。仏壮の活動を通して、心地良く付き合える人たちの輪を広げるということができると考えている。

■ 連研の楽しさを仏壮に(廣瀬)
現在、連研を受けているが、鎌倉組のお寺を回って、親鸞聖人のお話をお聞きするのは楽しい。それを一つひとつ読み解いていく過程で色々な発見があり、多くの出会いがある。難しい内容で分からないことも多いが、難しいからおもしろいという面もある。先生方のお話や班別に分かれて研修生と門徒推進委員とのお話、感話などにも、様々な気付きや出会いがあり視野が広がった。連研の箱根湯本での一泊研修で私の高校時代の友だちと同じ職場だったという人に出会った。何かに出会えるという連研の楽しさを仏壮の活動に結びつけることができたら良いと思う。仏壮の活動が楽しい出会いの場となればお寺にもっと人は集まると思う。

■ 心地よさ(田中)
どこに行っても知り合いがいるというのは心地よい。若い人を呼び込む秘策はありますか。

■ 共通のテーマで人を集める(宮南)
今は、昔と違って若い人を飲み会に誘ってもなかなか来ない。清掃活動やボランティア活動という、みんなが興味を持てる共通のテーマであれば集まる。みんなで一つの方向に向かうという状況を作ることができれば年齢の差は関係なくなって参加が増えるのではないか。とにかく、みんなでやっていて楽しいという場を作ることが重要だ。

■ 仏壮の亡くなったメンバーの合同追悼供養の提案(橋本)
鎌倉組仏教壮年会連盟の理事として活動されていた、源波さん、青木さんが亡くなった。ご家族の方もお呼びして合同追悼供養をやったらどうか。

■ 法事を増やす(成田)
これからは、高齢化が進み多死時代になる。多死時代になったら法事をやってお寺に来る機会を増やしたらどうかと考えている。そのために過去帳をめくって亡くなったご先祖のことを調べてもらう。法事には亡くなった人がここに帰ってくる、色々な世代の人達が集まる。みんなの顔が見れる。法事は楽しい。こういう流れを作ったらどうか。

■ 子どものテーマから高齢者、青年、婦人を呼び込む(宮南)
子どもたちのためにパラリンピックの重量挙げの選手の講演会を企画した。高齢者、青年、婦人が子どもたちについてくる。孫をかすがいにして次のテーマを考えたらどうか。

■ 入るきっかけは様々(阿部)
私が、仏壮の活動に入ったきっかけは息子の死であった。入るきっかけは様々だ。住職は、日頃から檀家の人たちのことを気にかけて欲しい。

■ いろんな人の力を借りる(田中)
仏壮の中には、色々な特技を持った人がいる。その人たちの出番を作って力を借りることも重要だと思う。

まだ、話し足りないこともあるかと存じますが、懇親会の準備も整ったようですので、最後に、黒川さんにまとめていただきたいと思います。

■ まとめ(黒川)
様々なご意見やご提案をいただきありがとうございました。今回のパネルディスカッションで出していただいた貴重な内容を今後の仏壮の活動の参考にさせていただきたいと思います。1ヶ寺でも多くのお寺に参加していただくと同時に、各寺院の門徒の方々との交流を広げて、活気のある仏壮にしていきたいと思います。これだけのことをいっぺんにやることは難しいと思いますので、出来るところから少しづつ始めていこうと思います。今後とも、ご協力をお願いいたします。

■ 終了(田中)
それでは、これで終会とさせていただきます。パネリストのみなさん、貴重なご意見をいただきありがとうございました。

-----〈休 憩・移 動〉-----

17:30 懇 親 会(会 館)
会所住職挨拶
乾杯
食前のことば

-----〈歓談〉-----

19:00-中締め-
食後のことば



鎌倉組 第13期 連続研修会 第5、6回 真楽寺(国府津)

鎌倉組 第13期 連続研修会 第5、6回 真楽寺
記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫
※この文章は、私の感想に基づいて備忘録として書いたもので厳密なものではありません。
● 2019年6月1日(土)12時30分 国府津駅集合〜2日(日)11時10分 箱根湯本温泉ホテル解散(国府津真楽寺、勧堂(すすめどう)、箱根石仏群、箱根神社宝物館、)
● 研修生 17名
● 1日目
・12時45分〜13時30分:おつとめ (讃仏偈、浄土真宗の生活信条、組長挨拶、真楽寺住職のお寺の縁起の説明、帰命石見学、菩提樹見学、勧堂跡見学)
・14時:バスで箱根へ移動
親鸞聖人お別れの石、石仏群、箱根神社宝物館 橋本順正氏説明
・17時10分:箱根湯本ホテルにてオリエンテーション
・19時:懇親会
● 2日目
・8時:おあさじ(讃仏偈)
・8時30分~10時45分:
講義(今井雅晴先生 筑波大学名誉教授)「関東の親鸞聖人〜相模布教の意義〜」
・11時〜11時15分
閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉、事務連絡)
・11時15分:現地解散
● 次回 8月3日(土)善福寺(大磯)

■ 見たこと、学んだこと、感じたこと
・勧堂(真楽寺から徒歩5分):茨城県稲田の西念寺で教行信証を執筆された後に56歳で、家族揃ってこの地に7年間滞在されて布教をされた。勧堂という石造りのお堂が残っていた。海の近くなので風化しないように石で囲ったと考えられる。良寛の五合庵のようにここに住んでいたというのでなく説法をした場所だったらしい。

・帰命石(真楽寺):真楽寺の境内の帰命堂で、親鸞聖人が名号を書かれたと伝えらる「帰命石」を見学した。現在のものは、後の時代に作られたもので、親鸞聖人が書かれた筆跡が残っている実物の石は、風化を避けるために、お堂の地中に埋められているということであった。
「親鸞聖人が逗留の頃、勧堂の下へ一切経を積んだ唐船が着岸した。その船底に石八枚が積まれていた。親鸞聖人、帰洛の時に末世の人々のためにその石に指で二つの名号を書かれた」ということが「新編相模風土記」に書かれているという住職からのご説明があった。古い「帰命石」の拓本が残っていたが、指でなぞったような書体であった。
(帰命石にかかれてる名号)
帰命尽十方無碍光如来
南無不可思議光佛

・親鸞聖人手植の菩提樹(真楽寺):本堂の横に、大きな菩提樹があった。樹齢370年と推定できるという教育委員会の解説があった。親鸞聖人が植えられたものを、植え継いだものではないかと書いてあった。

・石仏群(旧箱根街道):精進池のほとりにある溶岩石に彫った箱根石仏群の二十五菩薩などを見学した。1体だけ阿弥陀様が彫られているということで探して見つけることができた。砂岩でなく、溶岩性の自然石に彫ってあるので古いものであるが風化が少なくきれいに形が残っていた。

・曽我兄弟の墓(旧箱根街道):日本の三大仇討ちの一つで有名な曽我兄弟の墓。後の二つは赤穂浪士の討ち入り、鍵屋の辻の決闘(荒木又右衛門)。

・日本最古の宝篋印塔(旧箱根街道):石の表面が錆びていたので磁石を近ずけてみたら反応があった。マグマと同じで鉄分が含まれている。溶岩でできた石だと思われる。

・親鸞聖人お別れの石(旧箱根街道):関東布教を終えて京都に帰られるときに腰かけたと云われている石。歌も残っているらしいが、バスの中からの見学だったので見ることができなかった。

・親鸞聖人の銅像(箱根神社):昭和39年に戦争で亡くなった学生を供養するために、親鸞聖人慈悲の像として建てられた。鏡の御影を基にしているだけあって厳しい表情であった。浄土真宗の本山が太平洋戦争に協力したことがあり、その自省の念も込められているらしい。

・講義(箱根湯元ホテル3F会議室)「関東の親鸞聖人〜相模布教の意義〜(今井雅晴先生 筑波大学名誉教授)」
【越後流罪】
親鸞聖人は35歳で越後(新潟)に流されたが、所謂、罪人としての扱いでなく、身分や衣食住は保障されていた。そうでなければ、妻帯して子どもを作り、家族と生活することなどできなかっただろう。布教の対象は、農民だけでなく武士も多かった。

【関東での活動】
40歳前に越後の流罪を解かれて常陸(茨城)の稲田の草庵で教行信証を執筆した。その教行信証を携えて、権力の中心地の鎌倉幕府や関東の玄関口箱根に近い国府津で布教活動を始めた。親鸞聖人は、明晰な頭脳で分析されて影響力の大きいこの地を選ばれたのではないか。ここでの生活は七年と短いが重要な期間であり、この草庵だけに定住していたのでなく、草庵の近くの地域に住んでいたということらしい。

鎌倉に浄土真宗の寺院が少ないのは、それだけ既存仏教の寺院が力を持っていて根付いていた。そこに新たに寺を作るというのは難しかったからということらしい。長生寺もそうだが、鎌倉の近くのほとんどの寺院は、親鸞聖人や蓮如聖人の説法に感化を受けて、天台宗や真言宗などから改宗している。

【親鸞聖人の布教】
この時代は、律令制が定着して荘園が広がっていた。農民は厳しい生活を強いられていた。その中から土地を守るために武士が台頭し争いが絶えなかった。江戸時代のように平和な時代ではなかった。権力者に抑圧されていた庶民の鬱積が溜まっていた時代とも考えられる。親鸞聖人は、農民、武士、商人、職人など、苦境に喘ぐ万人が救われるためにはどうすれば良いのかを考えられた。一部の支配階級、裕福で教育を受けた者、修行して悟りを開いた者だけが救われるということはおかしいと考えられていたに違いない。

浄土真宗は、当時のキリスト教のように理解しがたい邪教として迫害を受けていたのでなく、庶民も幸せに生きる権利があるという基本的人権を覚醒させたということに対する権力者の怖れがあったのではないか。弾圧をしていた支配階級も浄土信仰は理解しており、憧れすら持っていたらしい。

■ 全体を通しての感想

武士が台頭し最初の幕府が鎌倉に出来た時代でまさに変革期。荘園が作られ、土地争いの戦が繰り返され、庶民は苦しい生活を強いられた。生きるために物を奪い人を殺すなどは日常茶飯事であった。

親鸞聖人は、このような庶民に目を向けて全ての人を救うにはどうしたら良いかを考え抜かれた。国府津の滞在は、教行信証を書き終えて、その内容を検証する重要な七年間だったのでは思う。

この相模の地で教行信証を検証し「自分の考えは正しい」という確証を得て、それを携えて京都に戻り、浄土真宗の布教の総仕上げのフェーズに入られたのではないかと思う。

親鸞聖人は、比叡山の延暦寺に二十年以上修行され、あれだけの著作を著された秀才であるが、時代の風を読み生涯人類の幸福について考え続けた救世主でもあった。

箱根神社の親鸞聖人の銅像を拝見すると、厳しい表情の中に深い知性を感じる。非常に頭の良い合理的な考えができる人、全ての人を救うという慈悲の心を持った人、また現実主義の人ではなかったかと思う。

他人が幸せになることを説く前に、自分が幸せでなければならないと考えていたのではないか。うまいものを食べ、気持ち良く眠り、温かい家庭を作り、健康で楽しい生活を送るという万人の欲求を追求し実践してみせたのではないか。一人ひとりがこのような生活をすることで世の中が良くなり、時代が前に進むと確信していたに違いない。

無理をするな、自由に生きろ、幸せになれ、そんなことを親鸞聖人は言われているのではないか。浄土真宗は、まだまだ分からないことだらけだ。でもだから面白い。先は長い。無理に分かろうとしなくていい。これで良いのだ。