2019年10月6日日曜日

鎌倉組 第13期 連続研修会 第8回 上正寺(茅ヶ崎 小和田)

● 記録:長生寺 檀家 廣瀬隆夫

※この内容は、お話を聴きして得た私の個人的な感想を書いたものです。
● 2019年10月5日(土)13時〜16時25分
● 研修生 17名
・開会式(開式の言葉、正信偈、浄土真宗の生活信条、役員(橋本さん)挨拶、上正寺住職挨拶、真宗宗歌)
・問題提起(葬儀・法事について 光明寺住職:北條祐英さん)
・班別話し合い(13時40分~14時40分)
・発表(14時40分~)
・全体協議会 まとめ 北條祐英さん
・閉会式(感話、恩徳讃、閉会の言葉)16時25分終了
● 次回 第9回 12月7日(土)長生寺(六浦)

■ 葬儀・法事についての感想とまとめ
祖父(1988年)、祖母(1989年)、父(1999年)の葬儀は、自宅で行った。母(2013年)は、菩提寺の長生寺の会館で行った。最近は、自宅で葬儀を出すところが少なくなった。自宅でやっていたときは、隣組が手伝いがあった。受付や提灯を持った駅での案内、会計、通夜ぶるまいの接待係、配車係などを手分けしてやってくれた。つい最近まで五人組もあったという。

葬式ができる家が少なくなり、隣組を頼むのも面倒、喪主の負担が大きいなどの理由で、葬儀屋を頼むことが多くなった。昔は、人が亡くなると、まず、お寺に連絡したものだが、最近は、最初に葬儀屋に連絡する。病院と葬儀屋がつながっているところもある。すぐに葬儀屋の営業担当が来る。葬儀屋のお世話にならなければならないのは、日ごろ、お寺とのおつきあいが希薄になっているからだろう。

自宅で葬儀をやると喪主にたいへんな負担がかかる。人間関係や部屋の掃除などの準備がたいへんだ。知らない人を自宅に上げたくないという人もいる。それなら、多少お金がかかっても葬儀場を使った方が気が楽だということで葬儀屋に頼む人が増えた。葬儀屋は、サービスが全て値付けされている。エンバーミングと言って遺体のお化粧をするサービスもある。葬儀屋は、すべて仕切ってやってくれてビジネスライクなので喪主は楽だ。お寺の住職は、葬儀というイベントの中の読経というパートを受けもつタレントの一人のようなものになっている。でも葬儀が終わってから請求書を見て驚くことになる。

最近は、あまり人を呼ばない家族だけで行う小さな葬儀が増えてきた。昔は密葬といったが、それだと本葬はどうするということになり、葬儀屋が家族葬という言葉を発明した。病院で亡くなったら、焼き場に直接送ってお骨にする直葬というものがあるらしい。これは、単なる遺体処理であり一生に一度の人の死をあまりにも軽んじているのではないか。また、駅の忘れ物センターには、骨壷がたくさん置いてあるのだという。それは、故意に電車の中に置き忘れた、というより捨てた骨壷だそうだ。これは時代のせいには出来ない悲しいことだ。

こんな話を紹介してくれた。浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は、臨済宗の僧侶、一休さんとして親しまれていた一休宗純と懇意にしていた。一休さんが、正月の席に招かれた。信者から目出度いお言葉をいただきたいと色紙が渡された。一休さんは、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書いた。信者は、正月になんて不吉なことを書くんだと怒った。つかさず一休さんは、「これほど目出度いことはないよ。あなたの子どもや孫が先に死んだらどうだろう。これ以上の不幸はないのではないか。誰でも死ぬ。それなら順番に死んでいくことこそが自然で目出度いことではないだろうか」それを聞いて信者はありがたく、その色紙をいただいて帰ったという。自然な死というものは不幸なことではなく、むしろ目出度いことなのである。

葬儀は何のためにやるのか。浄土真宗は、善を積んで故人を供養するという追善供養はやらない。故人のご冥福をお祈りするという言葉をかけることもない。これは、故人の死後の幸福をお祈りいたしますということである。人は亡くなれば即座に阿彌陀仏の誓願によって浄土=真実の世界に、誰でも行くことができるのでこんなお祈りは必要ない。浄土真宗では、あるかどうか分からない霊魂というものの存在を認めない。だから浄土真宗は、香典袋の表書きに御霊前と書かない。全て御仏前。

清めの塩もない。塩を使うのは、腐らないように塩鮭にするのと同じことで故人に失礼だ。葬儀や法事は、迷っている霊を鎮めるためにやるのではない。故人はけがれたものでも、怖れるものでもなく幽霊になって迷うこともない。だから守り刀も陰膳も必要ない。お坊さんが読むお経も、死者への鎮魂歌ではなく、生きている私たちを阿弥陀様の世界に導くための説法である。葬儀や法事は、死というものを縁にして残された私たちが、仏法に出会う機会を与えてくれる場なのである。

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歎異抄の第五章を味わってみよう。
<<親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。そのゆえは、一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも助け候わめ、ただ自力をすてて急ぎ浄土のさとりを開きなば、 六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、神通方便をもってまず有縁を度すべきなり、と云々。>>

親鸞聖人は、亡き父母に孝養を尽くすために追善供養する、というような意味をこめて念仏を申したことは一度もありません。そのわけは、すべての生きものは、みな果てしもない遠い昔から、生まれかわり死にかわり、無数の生存を繰りかえしてきたものだからです。

その間には、ある時は父になり、母になり、また、ある時は兄になり、弟になったことがあるに違いありません。生きとし生けるものは、みな懐かしい父母・兄弟なのです。この生を終わって、次の生で浄土に生まれ、仏陀になったときには、一人残さず救わなければならない者たちばかりだからです。

自力で善根功徳を積んで念仏を唱えても、亡くなった父や母を助けるたことはできません。一切の自力のはからいを捨てて、本願他力に身をゆだね、浄土に往生をして、すみやかに仏陀となるという悟りを開いたならば、父や母が、たとえ六道の迷いの境界にあって、さまざまな生を受け、苦しみの中に沈んでいたとしても、悟れるもののみが持つ超人的な救済力と、巧みな手立てをもって、何はさておいても、まずこの世でことに縁の深かったものから救ってゆくはずです、と親鸞聖人は仰せられました。
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本来、通夜は親族だけで過ごすものだった。そこで食べる料理も精進料理で生ものや肉類は使わなかった。今の通夜ぶるまいの豪勢な料理は、会社の同僚などをもてなすために考えたもので本来のものとは違う。

初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌。3と7のつく年が多い。年忌法要は、いつまでやるかというと、決まりはないという。法要を行うことは葬儀と同じで、法要を縁にして残されたものが仏法に出会う機会を与えてくれる場。疎遠にしていた親戚が集まり和やかに故人について語り合い仏法について考えるのが年忌法要である。残された者たちの気持ち次第である。

お寺の住職は、お布施の金額をはっきり示さない。住職にお聞きすると、「お気持ちで結構です」と答える。これを真に受けて本当に気持ちだけお布施を包んでくる人もいるらしい。そもそも、葬儀や法要は商品やサービスではない。消費税を10%上乗せしてお金を払うというものではない。あくまで、気持ちを施すということ。世間相場はあるが、どんな時代になっても、お寺が、お経一時間、松竹梅でいくらという値段を決めて出してくることはない。このお布施でお寺の建物の修繕をしたり、植木の手入れをしたりしているのだから、赤い羽根助け合い運動の寄付のようなものだと考えれば良いのかもしれない。合掌。







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